Column2016/12/30

【Column-030】 [光り輝く街で-19]  『2016年』

 

 細貝萌の2016年は激動だった。

 年初はトルコの古都・ブルサに居た。2015年8月27日にドイツ・ブンデスリーガ1部のヘルタ・ベルリンからトルコ・シュペルリガのブルサスポルへの期限付き移籍を決断し、新天地へと降り立った。

 ブルサでの日々は充実していた。チームでは指揮官が3度代わりながらも、細貝はその都度レギュラーポジションを掴んでピッチに立ち続けた。

「最初は試合に出られないこともあったけど、ボランチ、そしてサイドバックで起用されるようになった。ヘルタ時代は練習参加もままならないことがあったから、チームに必要とされていると感じられたのは素直に嬉しかった。僕をブルサスポルの選手として認めてくれたわけだからね」


 

 ブルサではプライベート面でも充足の日々を過ごした。トルコの人々は温かく親身で、心が安らいだ。

「トルコの人々は多少アバウトなところもあって約束が守られないこともあったけど(笑)。それでも英語すら伝わらない状況の中で、現地の人々は僕のことを思っていろいろ親切にしてくれた。会話ができなくても気持ちが伝わる。それって、とても重要なことなんだなと気づかせてくれた」

 忘れられない思い出がある。2016年4月11日。シュペルリガ第28節でベジクタシュと敵地で対戦したブルサスポルは2-3で壮絶な敗戦を喫した。その中で細貝は試合終了直前にピンチを迎えた際に相手MFリカルド・クアレスマへチャージして揉み合いになり、試合が終了した直後に退場処分を課せられた。その後、細貝とチームは力及ばず敗戦した事実に落胆して帰路に着いたが、そんな彼らを待ち構えていたのはブルサの港に詰め掛けた大勢のブルサスポル・サポーターだった。

「港に来てくれたたくさんのサポーターが『細貝、よくやったぞ!』、『お前は最高だ!』と言ってくれた。自分は上手い選手じゃない。だけど、しっかり気持ちは伝わってるんだと思った。もちろんファウルを犯して退場しているわけだから、相手サポーターには嫌われる訳なんだけどね(笑)。でも、それよりも自分のチームのサポーターが評価してくれる、応援してくれる。それが何よりも嬉しかった。自分の所属しているチームのサポーターが評価してくれること。長年サッカーやってきたけど、それ以上に嬉しいことはないよ」


 

 最近のトルコは各地でテロが起きる不安定な情勢が続いている。細貝が生活したブルサでも市内中心部で爆発事件が起きて複数の負傷者が出た。

「自分自身は危険な目には遭っていないけど、実際にブルサでテロが起きたのは事実で、身近に感じていた。ガラタサライの選手のお父さんが試合後に起きたテロで亡くなったことも聞いた。トルコ国民は皆、今の情勢を悲しんでいると思う」


 

 2016年7月25日。細貝はブルサスポルから完全移籍のオファーを受けながらも、逡巡の末にドイツ・ブンデスリーガ2部・シュトゥットガルトへの完全移籍を決断した。

「ブルサスポルが僕を完全移籍で獲りたいと言ってくれていた。とても嬉しかったけど、生活環境や自分の成長を考えて、新たな場所でのプレーを選択した」

 

 細貝にはライフプランがある。プロサッカー人生は短い。もちろん現役でプレーする間はその職務に邁進するし、その時間が長く続けば良いと願っている。しかし現役を退いた後を考えた時、その先の人生に思いを馳せる。様々な経験を積んで成長したい。その思いから、彼はこれまで過ごした日本、ドイツ、トルコ以外での生活を考えていた。しかし、シュトゥットガルトにはかつて彼が師事した恩師であるヨス・ルフカイ監督がいた。

「ルフカイ監督とは自分が初めて海外でプレーしたアウグスブルクで出会って、ヘルタ時代にも僕を呼び寄せてくれて共に戦った。でもヘルタでは僕の力も足りなくて、残留争いを強いられた中で監督が解任されてしまった。そんな監督が再び僕の力を欲してくれて意気に感じた面もあったから、シュトゥットガルトへの移籍を決めたところもある。ただ、僕が移籍してからしばらくして、ルフカイ監督が自ら辞任してしまったんだよね(苦笑)。でも、監督はクラブから慰留される中で強化方針の違いから去ることを決断したんだから仕方ない。お互いプロの立場として、その監督の選択は尊重している。方針が異なるのに職務を続けるのは、決して良いことだとは思えないから」


 

 シュトゥットガルトに移籍してからの細貝は苦難の時を過ごしている。8月13日のリーガ2部第2節・デュッセルドルフ戦で左腿前の肉離れを発症して約4週間をリハビリに費やした。そして9月15日にルフカイ監督が辞任。10月12日には練習中に味方選手と接触して右足小指を骨折してしまった。2度目のリハビリは約1か月を費やし、11月中旬にようやく全体練習に復帰して今に至る。その間、チームはルフカイ前監督から指揮を受け継いだハネス・ヴォルフ監督の下で無敗を続けたが、細貝が復帰した後は第16節・ハノーファー戦、第17節・ヴュルツブルク戦で連敗し、リーガ2部3位でウインターブレイクへ入った。

 

 シュトゥットガルトでは妻と生後間もない娘と過ごす充実した日々がある。試練の連続の中でも、精神を鎮めて戦いに臨む舞台は整っている。

「何よりもケガは悔しい。これまでドイツではあまりケガをしたことがなかったから、練習ができない状況は辛かったし、情けないと思った。何よりもチームが1部に上がろうとしている中で力になれないことで、考え込んでしまうことも多かった。今はまだ、ケガが良い機会になったとは思えない。ただ、ここでウインターブレイクがあるから、しっかりと気持ちを切り替えたい」


 

 紆余曲折のあった1年を通して、今の細貝は何を思うのだろうか。


 

「2016年はいろいろあった。自分と同じ誕生日に娘が生まれて、シュトゥットガルトで家族と生活し、今はウインターブレイク中に日本へ帰ってきている。生活自体はとても充実している。今の僕には家族がいて、ひとりじゃない。家庭を築き、父親になったことで自分の何が変わったかは、まだ分からないんだけどね(笑)とにかくこれが本当に自分の力となっている」

 

 シュトゥットガルトではチームメイトの浅野拓磨とも良好な関係を築き上げている。

「拓磨はものすごく、びっくりするくらい良い子だね(笑)。娘の面倒もよく見てくれる。彼は大家族の中で育って、兄妹の一番下の子が今5歳なので、子どもとの接し方を特に分かってるよ。僕の娘のドイツでの初めての友だちは拓磨だから(笑)。サッカー選手にとってキャリアのスタートはとても重要。特に海外では、スタートで上手くいかないと悩んでしまう。僕はヘルタ時代も(原口)元気が海外でのプレーを始めた直後に共にベルリンで過ごした。だから彼が今、所属チームや日本代表で活躍しているのはとても嬉しい。その時は目に見えなくても、培った経験によって人は成長できると思う」

 現在日本で束の間のオフを過ごしている細貝だが、すでに意識はリーガ再開後に向けられている。年明けすぐにドイツへ戻り、その後ポルトガルで実施されるシュトゥットガルトの強化キャンプに参加する。

「今回はチームからオフ期間中の詳細なトレーニングメニューをもらっている。チームから託されたデータ計測器を付けてトレーニングすると、それが記録されていくんだけど、どうしても、それ以上に身体を動かしてしまう。本当はオフ期間中にトレーニングはしたくないんだけど‥(笑)コンディションを整えないとオフ明け後が辛いし、何より試合で戦えないと嫌だからね。ジョギングするのは嫌いだけど、やらなきゃならない。それがプロサッカー選手の務めだから。やるのは当然。」

 未来を見据えて。今でも細貝は闘い続けている。