Column2017/03/24

【Column-037】 [光り輝く街で-26]  『太陽の街へ』

 

 細貝萌は、ドイツ・ブンデスリーガ2部のVfBシュトゥットガルトから日本のJ1リーグに所属する柏レイソルへの完全移籍を決めた。

 

 2016年8月、ヘルタ・ベルリンから新天地を求めて再チャレンジを始めたドイツ南部の大都市では様々な出来事があった。細貝が師事してシュトゥットガルトへの移籍を決断する動機となったヨス・ルフカイ監督がシーズン開幕から数試合で辞任したことは青天の霹靂だった。また細貝自身もシーズン序盤に右足太もも前を肉離れし、続けて右足小指の骨折にも見舞われて苦境に陥った。骨折直後に痛み止めの注射を打って強行出場した第9節のディナモ・ドレスデン戦は0-5の大敗。本人の調子は悪くなく、自らのプレーパフォーマンスだけが敗戦の要因ではなかったが、それでも責任を痛感した細貝は改めて戦線離脱を決意し、そこからハネス・ヴォルフ監督率いる新チームの中で序列に変化が生まれた。

 

「2017年を迎えてから、何かの変化を加えなきゃならないというのが自らのテーマだった。もちろん、それはシュトゥットガルトというチームの中で、とにかく何か変化を求めていた。でも、ウインターブレイク明けの強化キャンプ中に練習試合での強い打撲で別メニュー調整を強いられ、ここで一層チーム内の立場が厳しくなった」

 

 長期的なチーム構築を見据えるヴォルフ監督はシーズン中に度々負傷してチームを離れる三十路の選手のプライオリティを下げ、アンカーのポジションに24歳のマティアス・ツィンマーマンや20歳のアント・ギルキックらを起用し、新たにガーナ代表であるオフォリを戦力として獲得した。それをきっかけに細貝は負傷が癒えた後もベンチ入りメンバーから外れるようになった。

 

「2011年の冬にJリーグの浦和レッズからドイツ・ブンデスリーガ2部(当時)のアウクスブルクへ移籍してからこれまで、自分はドイツでほとんど負傷したことがなくて、チームに帯同できないこともなかった。でも今回は時間が経つにつれて立場が厳しくなってきて、何かしらの決断を下さなきゃならない状況にあることを自覚した」

 

 昨年6月に30歳を迎えた細貝は、これらもヨーロッパでプレーし続ける意思を持っていた。しかし今回、精神的にも立場的にも極限の状況に置かれる中で、彼は数年ぶりに母国でのプレーを憧憬するようになった。

「正直、昨年の6月、そして12月の段階ではチームを移籍する、もしくは日本に帰る選択肢を持ってはいなかった。だからこそ数多くあったJリーグのオファーも断った。でも、今のこの状況はプロサッカー選手として行動を起こさなきゃならない時だと思ったんです。所属チームでベンチ入りすらできないのは何よりも厳しい。自分のサッカーキャリアの将来を見据えた末で、選手はやはり、自らの力を一番求めてくれる場所でプレーするのが最善だと考えたんです」

 

 今季のヨーロッパ4大リーグの移籍期間は1月31日が締め切りだった。つまり今の状況では細貝の選択肢は限られていた。それでもシーズン中の移籍を模索した時、真っ先に頭の中に浮かび上がったのはJリーグでのプレーだった。

「Jリーグの冬の移籍締切は3月31日まで。嬉しいことに、このタイミングにも関わらず僕に対して幾つかのクラブが興味を示してくれたんです。そして今回、柏レイソルというチームの正式オファーを受けて、このクラブへ移籍する決断をしました。今の自分の年齢、柏のチームスタイル、そして自分のプレースタイルがマッチするのかどうか。今季の柏は現在リーグ3連敗中で、その中で僕の力が少しでも役に立てばという思いがある。僕は、このチームの助けになりたい」

 

 細貝は前橋育英高校から2005年に浦和レッズへ加入し、Jリーグで6シーズンプレーした。当時と現在ではJリーグの環境やレベルに差異があり、自らのプレースタイルも変化している。しかし、それでも彼には豊富な経験に裏打ちされた自信と個性がある。

 

「今の柏は若いチームという印象がある。僕がこのチームに入ると、自分はチーム内で4番目の年長者になる。そうなれば自分のことだけに邁進するのではなく、チームメイトを引っ張っていく役割も求められるのは当然。僕はできる限り、その尽力をしたいし、その覚悟もしている。でも、それと同時に僕は日本でプレーするのはかなり久しぶりなので、柏のサポーターが歓迎してくれるかが少し不安なんだよね……。僕のことを少しでも知ってくれていれば良いんだけど…(苦笑)」

 

 一方で細貝は、かつて所属した浦和にはどんな思いを抱いているのだろう。

 

「僕は浦和レッズというクラブに育てられてドイツで挑戦することができた。だから以前も今も浦和レッズというクラブが大好きであることに何も変わりはないんです。でも今の浦和はミハイロ・ペトロヴィッチ監督という素晴らしい指揮官の下で、実力のある選手たちがハイレベルなサッカーをしてタイトルを目指している。その中で僕の力がどれだけ必要とされるのか。それは結果論に繋がるから何も分からないんだけど、今の自分の状況、そして今後のことを考えたら熱心に僕を誘ってくれた柏に行くべきだと思ったんです。本当に本当に悩んだけれども、様々な事象を加味した上で決めました。久しぶりに手の肌も一気に荒れ、今は少し精神的にやられている状況なんだけどね…」

 

 簡単な決断ではなかった。それでも細貝自身が備える志は揺るがない。プロサッカー選手として、今出来る最大の力を発揮する。その場所は、黄色と黒をチームカラーとするクラブが相応しいと確信している。

「実は僕が浦和レッズでプレーしている時代は、レイソルが国立競技場でホーム戦を開催していたんです。だから僕は、柏の本来のホームスタジアムである日立台のピッチに立ったことがない。スタンドからピッチまでの距離が近い、あの日立台でプレーした時に、僕はどんな思いを抱くんだろう。実は、小学生の文集には『柏レイソルに入団したい』と書いているんだよね。今は、その時が早く訪れてほしいと願っているし、柏レイソルの選手としてプレーするのが本当に楽しみでならない。そしてこれから僕の人生はどうなるか。きっとこれからも多くの壁が立ちはだかると思う。でも、それを自分の力、家族、応援してくれる方々の力を借りて、一つひとつ乗り越えていきたいと思う。」

 

 細貝萌の、新たな挑戦が始まる。