Column2017/07/19

【Column-048】 [太陽の下で-11] 『先輩の背中』

 

 2017年7月17日。細貝萌は約6年半ぶりに埼玉スタジアム2002のピッチに立っていた。偉大な先達を送り出す。2005シーズンから2010シーズンまでの6年間を共にした鈴木啓太氏の引退試合に出場したのだ。

 

「啓太さんへの思いはたくさんある。僕が2005年に前橋育英高校から浦和へ加入してプロになったとき、本当のプロサッカー選手とは何かを教えてくれた先輩が啓太さんだった。プロとしてどう振る舞うべきか。高校生だった自分が給料を稼いで生活していく意味。プロとして、ひとりの大人として、啓太さんは僕が成長するきっかけを与えてくれた」

 

 細貝と鈴木氏にはいくつかの共通点がある。同じポジションでプレーする選手であることはそのひとつだ。すなわちチーム内のライバルでもあるわけだが、細貝は鈴木氏のある所作に深い感銘を受けたという。

 

「ある日の練習で啓太さんがサイドエリアへフィードボールを蹴るシーンがあった。僕はそれを啓太さんの後ろで見ていた。そのパスは上手く受け手に通らなくて失敗してしまったんだけども、そのときに啓太さんは受け手の選手に怒っていた。『イメージ通りの良いパスじゃん‥…』って。啓太さんは他の選手よりも深くプレーを考えていて、その意図に沿わないときは包み隠すことなく自らの考えを主張していた。当時の自分はおそらく高校を卒業してプロ1年目だったと思うんだけど、啓太さんとはサッカーに取り組む意識の違いを感じた。先輩と同じように、もっともっと突き詰めていかないとプロの世界では生き残れないと悟ったんです」

 

 プライベート面でもお世話になった。鈴木氏自身、細貝に対して何らかのシンパシーを感じたのかもしれない。その証拠に、別の道へ進んだ今でもふたりの関係は良好に保たれている。

 

「浦和に居たときは、啓太さんによくご飯へ連れて行ってもらった。当時はチームのこととか、ポジションのこと、それとヨーロッパへの移籍を考えていた時期には貴重なアドバイスをもらった。今思うと、何度も何度も食事をしてきたけど、啓太さんは必ず自分で支払いを済ませて、僕には一切会計をさせてくれなかったよ。それくらいお世話になった方だから、啓太さんが2015シーズンを持って現役から退くことを聞いたときは、本当に寂しかった」

 

ドイツで先輩の引退を知ったとき、細貝の心にはどんな思いが去来したのだろう。

 

「まだまだプレーし続けられると思っていたから、とても残念だった。でも啓太さんが決めたことなので、自分が何かを言うべき立場でもないことは分かっていた。ひとつ心残りなのは、もう一度公式戦で啓太さんと一緒にプレーできなかったこと。当時はヨーロッパに居たから、その思いが叶うことははなかった。いつの間にか啓太さんがあのピッチから居なくなってしまっていた。その寂しさがあったんだよね。浦和に入ってからは常に啓太さんの背中を追ってきた。今でも憧れの選手。僕は啓太さんのような選手になりたかった。今回、引退試合への出場を打診されたときは、何としても駆けつけたいと思った。その時はまだヨーロッパで生活をしていたから、結果的に日本に自分が帰ってきているとは思わなかったけどね(笑)。そこで何かのお礼を伝えられたら。いや、その一回だけじゃ足りないから、これからは何度も会って、今までお世話になったご恩をお返したいと思っている」

 

 公式戦の舞台で細貝が埼玉スタジアムのピッチへ最後に立ったのは2010年12月4日のJリーグ第34節・ヴィッセル神戸戦だった。先発出場して70分プレーした彼は、ライン際に立つ先輩をピッチへ送り出し、自らはベンチへ退いた。これがプロの舞台における細貝と鈴木氏の最後の接点になった。

 

 鈴木啓太氏は様々な人々の心に鮮明な記憶を残す、傑出した人物だった。細貝はそんな先輩の背中を、今でも憧憬の念で見つめ続けている。