Column2018/05/16

【Column-060】 [太陽の下で-23]『省みる』

 

 思い返してみる。

 

 前橋育英高校から浦和レッズへ勇躍加入してプロサッカー選手になったときは血気盛んで向こう見ずなところもあったが、それでも彼の信念は揺るがず、豊富な実績を誇る先輩たちを前にしても臆することはなかった。

 浦和からドイツ・ブンデスリーガのバイヤー・レヴァークーゼンへ移籍を決めたときは、未知なる冒険へと飛び出した。異国での生活や激しいチーム内競争には不安を抱いたが、怯んだ時点ですべてが終わると言い聞かせて前を向いた。その後はアウクスブルクへの期限付き移籍、レヴァークーゼンへのレンタルバック、そしてヘルタ・ベルリンへの移籍を経てトルコへも渡り、シュトゥットガルト在籍時に柏レイソルからオファーを受けて日本への帰国を決断した。

 

 その間、細貝萌自身は躊躇なく自らのプレーをピッチ上で表現しようと邁進してきたはずだ。幾度もあった困難の中で体調を崩し、精神的にも辛く厳しい状況が続いたときも、彼は必ず復活を遂げ、プレーで自らを表現してきた。しかし今、柏での彼は、その姿すらも周囲に見せられていない。 

 

「柏では、自分の思いや考えを表に出せていない。。それは自分自身に問題があるのは分かっているけれども……。ヨーロッパではすべての人が主張をする。それはサッカー選手だけでなくて、街の人々も同じ。主張しなければ自らの考えを理解してもらうことができないから。それを考えたとき、今の自分は果たして、ヨーロッパにいた時みたいにしっかりと周囲に自分の気持ちを伝えられているのかと思った」

 

 サッカー選手の場合、ただ言葉を発して自らの立場を主張する以外にも明確に自己を誇示できる手段がある。それはピッチ上でのプレーだ。『俺はこう思っている』という無言の言葉を、自らの身体を通して伝達することができるのだ。

 

「最近、ドイツやトルコでプレーしていた頃の自分のプレーを見返してみたんです。ボランチだけでなく、センターバックやサイドバックでプレーすることもあったけど、そのどれもが、細貝萌という選手の個性を惜しみなく発揮しようとしているんですよね。このときの自分はどう思いながらプレーしていたのか……。たぶん、チームのためにプレーしようとした結果、力を出し惜しみすることなく、自分らしいプレーをしようと思っていたのではないかな。チーム戦術に順応しようとか、周囲を生かすプレーをしようというのは先の話で、まずは最大限、自分の力を発揮しなければ何も始まらないんだなと」

 

 今は小さなケガなども少なからず抱えてはいるが、プレーできない状態ではない。それでもベンチ入りすら叶わない状況の中で、確かな指針を失っていた。環境や立場に原因を求めるのではなく、自らを省みなければ先には進めない。まずは自己の個性を最大限に押し出して全力でプレーし続ける。その上で、チームにとって必要な選手と認識されれば、自ずと道は開けてくる。

 

 臆したり怯んだらすべてが終わる。

 

 そう言い聞かせていた若き頃も、そして今の自分も、細貝萌というひとりの人物であることに変わりはない。

 

(了)