Column2016/04/13

【Column-001】緑の風-01

 トルコ・ブルサに降り立った。私がこの地に来るのは今回が2回目だ。初めてブルサへ赴いたのは2015年の11月。ブルサはトルコ国内では「緑のブルサ」とも呼ばれる非常に緑が多い街であり、町の木々の緑も深まって、爽やかな風が吹く秋深い季節だった。そして今回は新しい年が明け、日本では記録的な降雪を記録している時期の2016年2月中旬に赴いた。しかし冬のブルサは相変わらず真緑の木々がそびえていて、時折冷たい風が頬を突くものの、それでも穏やかで眩い太陽の光が降り注ぐ静謐な空気に包まれていた。

 ブルサのサッカークラブであるブルサスポルは「緑のブルサ」という街のイメージ通り、緑をイメージカラーとするクラブだ。

 そしてブルサスポルにはドイツ・ブンデスリーガのヘルタ・ベルリンから期限付きで移籍した細貝萌が所属している。2015年8月に移籍してから半年以上が経ち、彼はすでにブルサの住人としての落ち着きをたたえ、マイペースを保ちながらプロサッカー選手としての営みを続けている。

 なぜ私が再びブルサへ来たのか。それは細貝が自らのウェブサイトをリニューアルするにあたり、私にコラムの執筆を依頼してきたからだ。その内容は、「不自然に寄り添わず、細貝萌というサッカー選手に対して、一サッカーライターから観た、あくまでも客観的な批評をお願いしたい」というものだった。

 私は細貝に対して、「時には試合でのプレーに対して批判的な論評になる場合もあるが、それでも良いか?」と問い掛けた。しかし彼は、「当然それでいい」という。むしろ「本当の自分をさらけ出したい。これからは皆にもっと自分のことを伝えていきたい。その上で僕もさらなる成長を果たしたい」と言い切った。それならば、普段Jリーグの浦和レッズを中心に取材活動を行い、試合原稿や選手記事を執筆している私にとっても有意義な職務になると思った。そういえば、浦和に在籍していた時の細貝はよく、私に対して「今日のプレーはどうだった? 何も気にせず、率直な評価を聞かせて」と言っていた。彼はいつでも周囲の言葉を聞き、それを自らの力に還元させる聡明な人物だった。彼の覚悟を聞き、その思いを改めて知ったことで、私は今回のコラム執筆を受けることにしたわけである。

 ただ、日本からブルサはあまりにも遠い。それは物理的な距離の話だけではない。例えば、かつて細貝もプレーし、現在数多くの日本人プレーヤーが活躍するドイツならば、リアルタイムで日本へ情報が流れる。ブンデスリーガのゲームは日本で生中継されており、ペイテレビに加入すれば好きな選手の一挙手一投足を追うことができる。しかしトルコはドイツと事情が異なる。細貝が所属するブルサスポルのゲームは当然日本でテレビ中継されていないし、日本へ伝わるブルサスポルの試合情報は最終スコアと、細貝が出場したか否かの端的な記事しか配信されない。

 例えば、私がブルサに滞在した時に行われたブルサスポルとフェネルバフチェのゲームが無観客試合だったことはどれほどの方がご存知だろうか。フェネルバフチェはガラタサライ、ベジグタシュと共にトルコのビッグクラブに数えられる。しかも現在のフェネルバフチェにはロビン・ファンペルシー(元アーセナル所属/オランダ代表)、ナニ(元マンチェスター・ユナイテッド所属/ポルトガル代表)、ジエゴ(元アトレティコ・マドリー所属/元ブラジル代表)などの世界的なスター選手も在籍していて、ブルサの人々も試合前には地元クラブと人気クラブとの対戦に熱狂的な眼差しを送っていた。

 しかし残念ながらトルコのサッカーファンは、その熱すぎる振る舞いから度々問題行動を起こす。今回も以前のゲームでブルサスポルのサポーターがスタジアムで狼藉を働き、その制裁としてフェネルバフチェとのホームゲームが無観客試合となってしまった。多くの売り上げが見込めるビッグマッチでチケット収入が見込めないのはクラブにとって大ダメージである。しかも今回の無観客試合の最終决定はなんと試合前日に下された。実はこの時期、細貝の勇姿を見ようと日本から彼のご両親が遠路はるばるブルサへ渡航してきたのだが、残念ながらご両親は試合観戦が叶わず、細貝の自宅でテレビ観戦するしかなかった。これは日本とは異なる文化、風土を持つ国で戦うサッカー選手の試練でもある。

 そんな中、私は幸いにもメディアの一員として記者席で無観客試合を取材することができた。そして細貝はフェネルバフチェとの大一番で先発し、フル出場を果たしている。対面にはヴォルカン(元ブルサスポル所属/トルコ代表)という躍動的で戦闘的なMFがおり、彼とのマッチアップは激しさを増した。もとより戦力的に劣るブルサスポルはホームであっても劣勢は否めず、自陣で守備を固めて一瞬のカウンターに懸ける戦略でゲームを乗り切り、思惑通りにスコアレスドローで試合を終えたのだった。

 試合後の細貝は守備に奔走し続けたゲーム内容の苦しさを吐露しながらも、連敗していたチーム状況を改善する強豪とのドローゲームに一定の手応えを感じているようだった。また、スタジアムに行くことが叶わずテレビ観戦したブルサスポル・サポーターが、右サイドバックで守備に奔走した細貝をドローゲームの殊勲者と評価する声も多く聞かれた。

 しかし、このゲーム以降、細貝はしばらく先発から外れ、時にはベンチに待機したまま試合を終えることもあった。今季のブルサスポルはトルコ・シュペル・リガの中位に留まり、すでに指揮官が3人も交代する異常事態となっていた。監督が代わる毎に移り変わる先発布陣、当該の試合結果によって刷新されるチーム戦術。結果至上に陥りやすい環境の中で細貝はもがき苦しみ、それでもひたすら前を向いて選手として新たなる境地へと辿り着こうとしている。その彼の奮闘と内包する想いを、これから、このコラムで綴っていきたいと思う。

(次回へ続く)