Diary2020/07/6

狩野健太 引退

 

昨季までJ2の徳島ヴォルティスに在籍していた狩野健太が、7月1日に現役引退を表明しました。

 

健太と僕は同い年で、僕が初めて健太と出会ったのは中学生の時の世代別日本代表の活動のときでした。当時から僕は健太の天才肌的なプレーに憧れの眼差しを向けていたのを覚えています。ボールを優しく扱うあの感じ。また、健太のように華があって決定的な仕事ができる選手に対して、僕のようなタイプは後ろから彼らの仕事を支えるのが役目なのではないかと、若いながらに健太と一緒にプレーした事でそう強く感じたのを覚えています。その後も健太と世代別日本代表のチームメイトとして共に戦ったときも、あるいは相手チームの選手として対戦したときも、ずっと関係性を築いてきました。

 

世代別代表の大会が九州であったとき、健太とは合宿中によく時間を共にしていたのを覚えています。その結果、ピッチ外でもプライベートで彼と会って話をする機会が多くなり、互いの距離が縮まっていったように思います。高校2年生の時に行われた国体の試合では健太の静岡選抜と対戦し僕たちの群馬選抜が勝利を収めたものの、僕は世代別日本代表でずっと一緒だった健太や赤星貴文に対して実力の差を感じ、自分が決勝に進んだにも関わらず、ショックを引きずったまま決勝を戦ったのを今でも覚えています。

 

結局、健太とは互いに相談し合った結果、健太は横浜F・ マリノスへ、僕は浦和レッズへ加入してプロサッカー人生をスタートさせました。ただ、結局その後、僕と健太は同じチームの一員になることはありませんでした。

また、僕は前橋育英高から浦和レッズへ加入した後は海外でプレーすることも多くなり、彼との対戦機会もあまり無くなってしまいました。それでも健太とは日常的にお互いの近況を連絡し合い、オフシーズンには必ず会って親交を深めてきました。

実は今回も、彼が現役を引退を決断する直前には幾つかの相談を受けていました。でも、つい最近までの彼は現役を続ける意欲があったように感じたし、実際にオファーがあった新たなクラブでプレーを続けるという思いも聞いていたんです。

 

そんな中、彼から電話が来ました。

 

そのときの僕は今の住居があるタイ・バンコク市内にある長めのエスカレーターに乗った瞬間で、彼から「やっぱり引退することにした」という言葉を聞いた瞬間、ふいに時が止まってしまうような不思議な感覚に見舞われました。説明するのはとても難しいんだけれども、エスカレーターに乗っていて自然と身体が動いているのに、周りはシーンとして静まり返っている感じ。結局、そのエスカレーター上では健太と何を話していたかもほとんど覚えていなくて、ほんの数秒間だったかもしれないけど、確かに僕の中で時が止まったような感覚でした。

 

エスカレーターを降りて、少しだけ落ち着きを取り戻してからは、健太から引退する理由を聞いて『彼らしいのかも』と、すぐに納得できた自分がいます。普段の健太はクールで淡々としているから、自身の感情をあまり表に出さない。でも、僕はそんな健太の本当の姿を知っているから、内面では相当な葛藤の末に現役を引退する決断を下したと思うんですよね。それを考えると凄く悲しいというか、寂しいというか……。

 

表向きはクールで天才肌の健太ですが、本来の彼は非常に努力家なんですよね。以前から徹底的に食事管理して節制するのは当然で、彼はチーム練習以外に個人でのトレーニングにも積極的でした。そんな健太の姿や行動には僕自身も影響を受けていて、トレーニング場所は違うものの、僕も健太と同じように都内で個人トレーニングに励んでいました。

 

例えば、僕が浦和に在籍していた時代は試合があったら、翌日がクールダウン、そして翌々日がオフというサイクルでした。でも、当時の僕は90分間フル出場した翌日にチームの全体練習のクールダウンに参加した後、そのまま都内へ移動して厳しい個人トレーニングをこなして、身体を極限まで追い込んでから翌日のオフを過ごすルーティーンを続けていました。その影響もあって、浦和での全体練習がスタートしてからの週明けの2日間ほどは全身が筋肉痛の中、どうにか練習をこなすというサイクルを過ごしていました。

このような厳しいトレーニングをこなすことができたのも、同じく都内のどこかで鍛錬を重ねている健太という存在があったからこそなんですよね。当時は個人トレーニングをした後に健太と『ご飯でも食べよう』と約束して、トレーニング中には『これが終われば健太と会って楽しく過ごせる』と思って、それがモチベーションにもなった日が何度もありました。僕と健太は文字通り、お互いにプロの世界で切磋琢磨する”同志”のような関係だったと思っています。

 

僕はいつも、『アイツには負けていられない』と思い、それが向上心の源になったようにも思います。18歳でプロサッカー選手になった僕は、日本、ドイツ、トルコ、そしてタイと、様々な国でサッカーをプレーして、今は34歳になりました。同い年の健太は、その僕のプロサッカー人生の道程の支えになってくれた、かけがえのない存在です。

 

そんな親友である健太が現役を引退したのは正直言って寂しい。それでも健太は人生の次なるステップへ向かうわけで、僕よりも先に新たな一歩を踏み出しました。

 

最後にーー。先日、僕宛にくれた健太からのメールをそのまま記します。

『中学生で出会った頃から結局、最後までハジはずっと俺の前を走っていたよ。ハジを追い越したくて頑張ったけど無理だったわ』

 

健太のメールは僕に特別な感情を抱かせてくれました。最初の文章でも触れたように、僕自身は健太の前を走っていたなんて決して思っていない。でも何より、彼と出会ってからは常に負けたくないとは思っていたけれども、健太も同じ思いで僕と向き合ってくれていた。それを知ることができて、本当に嬉しかった。

そんな、親友である健太の新たな道を、僕は誰よりも楽しみにしています。

 

 

Hajime Hosogai.