Column2016/04/27

【Column-002】緑の風-02

 

 陽光きらめく午後の3時半。ブルサスポルのトレーニンググラウンドに隣接するクラブハウスから矢継ぎ早に人が出て行く。彼らは脱兎のごとくスポーツカーに乗り込み、エンジンをスタートさせたかと思うと、すぐさまシフトチェンジして轟音を響かせ、約200メートルの直線を駆け抜けて出口ゲートへ向かう。門番は慣れたものだ。鳴り響くエンジン音ですぐさま状況を察知し、スムーズな手付きでボタンを押し、疾走する車がゲートを通過する寸前で門を開いて彼らを通す。以心伝心だから、ドライバーは周囲を気に留めもしない。公道を出て右に曲がると、白煙を上げて颯爽と立ち去っていく。

 

「今の監督のブルサスポルではいつも、午前中に練習が終わるとチーム全員で昼食を採るのが決まりになっているんだよね。その後、コミュニケーションを取るために時間を設けて、午後の3時半くらいにようやくクラブハウスを出られるわけ。

チームメイトは皆、家族や恋人と暮らしているから早く帰りたいんだよね。だから、その時間が過ぎたら一斉に表へ出て、車を飛ばして帰る選手が多い(笑)」

 

 細貝萌の伴侶は今、第一子を身籠り日本へ一時帰国しているため、彼は単身赴任の状況である。だから急いで自宅へ戻っても誰かが待っているわけでもない。そもそも細貝萌という男は生来のマイペース人間で、浦和レッズ在籍時代から穏やかに時を過ごすタイプだった。

浦和時代のある日には、クラブハウスでスタッフからマッサージを受けた後そのまま寝てしまい、目が覚めたらすでに陽は暮れ、スタッフを含めてクラブハウスに誰もいなくなっていたこともある。最後に戸締まりをしたいからと起こされるのだ。

 かといって、細貝がチーム内でコミュニケーションを図れていないのではと懸念するのは早計だ。ヨーロッパ・ドイツで約5年、そして渡航して2カ国目となるトルコで、今の彼は積極的に周囲と関係を築き上げている。

 トルコの公用語はもちろんトルコ語だ。2015年8月の終わりにドイツからトルコへ移籍したばかりの細貝はトルコ語を介せない。細貝は今、ドイツ語はかなり上達し、基本的な会話ができる。しかし残念なことにブルサスポルの選手、コーチングスタッフなどの中にドイツ語を話せる人物はほとんどいないらしい。

「ここ(ブルサスポル)の通訳は凄いんだよ。トルコ人なんだけど、トルコ語はもちろん、英語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語などの多言語を話せる。イタリア語や、ドイツ語も少しわかるんだよね。最近は僕に『日本語を教えてよ』なんて言って、積極的に勉強している。でも、そんな彼もさすがに日本語は話せない(笑)。

だからもっぱら彼とは英語でコミュニケーションを取るようになるわけ」

 細貝は英語の習得に勤しんでいる。通訳と会話を交わしながら、自宅へ戻ると英会話の本を広げたりもする。それは勉学ではない。日々暮らす街で営みを続けるための、最低限の処世術だ。

 

 日本で暮らしている頃の細貝はお世辞にも社交的とは言えなかった。しかし今の彼は違う。おそらく日本語を話すのと同じぐらいの量の英語を積極的に話す。限られた言葉を駆使して淀みなく会話を続けて喜怒哀楽を示す姿は頼もしい。たぶん、彼は言語を頭の中で一旦日本語に戻す煩雑な作業をしていない。すらすらと言葉を紡ぎ、感情の赴くままにコミュニケーションを取っている。

でも、彼は言う。「英語全然話せないよ」と。

 

 トルコのブルサには今、駐在の方を含めて日本人が約5人しか住んでいないらしい。

「あくまでも噂だよ(笑)。移籍してきてすぐにこちらに住んでいる方にお会いして聞いたんだ。この前、ウチの奥さんが出産のために日本へ帰国したから、また日本人が減った(笑)。確かにブルサの街中を歩いていても日本人に会うことはないね。そもそもアジア地域の方が旅行でここに来るのも珍しいんじゃないかな。特に今は。

だから日本人の僕が街中を歩いていると、当然目立つ。でも、こっちの人はお構いなしにトルコ語で話し掛けてくるから、僕もそれに応えるためにどうしても言語が重要になってくる。自然に会話を交しているって? どうなのかね。自分では特に意識していないから。でも日本に住んでいた頃に比べたら、確かに積極的に周囲と関係を築こうとしているのかもしれないね。それは、ドイツで暮らしていた頃から、そうなっていったのかもしれないね」

 

 現在のブルサスポルは多国籍軍だ。監督は今のところシーズンを通してトルコ人指揮官だが(それでも、すでに今季2度監督が解任され、今の指揮官は3人目だ)、チームメイトはトルコ、チェコ、チリ、スロバキア、セネガル、マリ、カメルーン、ベルギー、ハンガリー、アルゼンチン、オーストラリア、イギリス、ドイツなどの各国の選手が居並ぶ。

「どうやって意思疎通するかって? 感覚だよ、感覚(笑)。特にトルコ人選手とはね。彼らは英語を話さない選手も多いから。

でも、とりあえずサッカーの世界に関しては限られた言葉で意思疎通はできるから。前とか後ろとか、右、左、今は行く、行かない、俺が助ける、助けてほしい。そういう必要最低限の会話は英語を話せない人ともできる。ピッチ上に立っている極限状態の中では、むしろ日々の生活の中で培った阿吽の呼吸のほうが大事だったりするからね。だから、その意味ではチームメイトとは良好な関係を築けていると思っている」

(次回へ続く)