Diary2021/04/9

赤星貴文・引退

先日、赤星貴文が現役引退を表明しました。

赤星と初めて出会ったのは中学生2年生のクラブユースの時。試合の対戦相手に彼がいて、『何この選手、上手‥。』と思ったのが第一印象。そして試合後にチームからは『ちなみにあの選手はお前と同い歳だからな。』と言われたのをはっきりと覚えています。それからはそれぞれの学校同士の対戦やお互いに世代別日本代表に選出されたりしたことで会う機会も多くなり、高校を卒業したときには、同じ浦和レッズというクラブでプロサッカー人生を一緒にスタートさせました。世代別日本代表でもずっと一緒だったから高校生の時からずっと連絡をとっていたし、進路を決めるときも色々相談したのを覚えていますね。

 

 

僕と赤星は同い年で共に高校から浦和へ加入したし、高校生の時から代表で一緒だったのもあり、普段から一緒に過ごす時間はかなり長かったように思います。浦和レッズの練習場近くの寮で暮らしていたのでお互いの部屋に入り浸っていたし、買い物に行くのも、ビデオを借りに行くのも、ご飯を食べるのも、寮の大風呂に入るのも一緒。風呂ではいつも歌を歌っていましたね(笑)

同じチームにいた時は彼が傍にいない時の方が少なくて、同じ世代の選手たちで夢を語り合ったり、将来のことに思いを馳せたりしながら、当時僕らはトップチームの試合出場もなかなか叶わずにサテライトリーグでプレーして切磋琢磨していました。

 

 

赤星は2008年に水戸ホーリーホック、2009年シーズンには浦和に戻ってきて、その後モンテディオ山形へレンタル移籍。その後は一度海外をはさみ、ツエーゲン金沢へ。そしてそこからはずっと海外でプロサッカー選手としてサッカーをしていました。だから今思えば実質的に僕と赤星がチームメイトでいられたのはそこまで長くはなかったように思います。

でも、活動の場が変わってからもそれまでとは何も変わらずお互いの絆を深められたようにも思う。

例えば赤星は僕より先に海外で新たな挑戦を始めていたため、海外でのプレーに関心があった僕は彼と頻繁に連絡を取って近況を聞いていました。赤星からは日本のJリーグしか知らずに世界の狭かった僕に対し、海外でプレーするうえでのアドバイスをくれていたし、そのサポートによって、僕も海外への挑戦を自信を持って決めることが出来たのを覚えています。

 

その後、僕が2011年の冬にドイツへ渡ってからは赤星がプレーするポーランドとドイツが距離的に近いこともあって直接会う機会も何度かありました。特にベルリンに住んでいた時はポーランドとドイツを何度か車で行き来もしましたね。あのポーランドまで続く真っ直ぐなアウトバーンが懐かしい(笑)

その後の赤星はロシア、タイ、イラン、インドネシアなど多くの国でサッカーをプレーしましたが、そのようなチャレンジ精神は僕の心を常に高揚させてくれて、赤星のサッカー人生は僕がトルコやタイでプロサッカー人生を築こうと思えた理由のひとつにもなっているように思います。

 

赤星は2019年末にインドネシアリーグのクラブとの契約が満了になった後は他クラブでサッカーを続けようと所属先を探していました。でも、頻繁に連絡を取っていた僕としては、この新型コロナウイルスで世界が大変な状況に陥っている状況も踏まえ、そろそろ現役を退く決断をする可能性があるんじゃないかと思っている自分もいました。。。

そして本人が発表する数日前、実際に赤星から現役を引退すると告げられたとき、とても悲しい気持ちになりました。

半ば予想していたことなのに、何故、これほどまでに赤星が引退することを悲しく感じてしまうのか。それは、『ついに、その時が来たのか』という思いが強まってしまったからかもしれません。今まで一緒にプロサッカー人生を歩んできた思いがあっただけに、やっぱり寂しいし、悲しい。

 

今思えば、高校生の時に数あった選択肢の中から浦和への入団を決断したのも僕よりも赤星の方が早かったし、浦和時代に海外へ向けて英語の勉強を開始するのも赤星の方が先だった。そして、実際に海外挑戦したのも赤星が先にいたし、今現在僕がいるタイでも赤星は先にプレーしていた。そして、赤星はまたしても僕よりも先に次のステップへと向かっていった。

今後赤星が何をしていくのかは僕にはまだ分からないけど、きっと充実した未来が待っていると思う。

ここ数年、僕と同年代の選手たちが次々に現役を退いている。当然今はそのような決断を迫られる年齢に達しましたし、もっと早い時期にプロの世界から去った人たちもいます。

 

お互いに切磋琢磨してきた選手たちが、プロサッカー選手の第一線から離れる。でも、プロとはそのように厳しい世界だと思っているし、自分もそれなりの覚悟をしています。むしろ僕も赤星も30歳を過ぎてからも現役を続けられたのは幸せなことで、しかもいろいろな国でサッカー選手としてプレーして貴重な経験を得られたのだから、今は赤星とも「俺たちは本当に恵まれているよね」といつも話しています。

赤星は良い意味でかなりマイペースな人物なんだけど、周囲の意見に流されずに自身の決断を本当に大事にしていて、その点では海外での生活は彼にとって心地の良いものだったのではないでしょうか。また、サッカーに関しても自分の意見をしっかり備えていて、独自の発想でそのプレーモデルを築き上げていったように思います。

 

実は僕、一時体調を崩した時期があったのですが、当時の赤星はタイのクラブでプレーしていたのにも関わらずわざわざタイから日本へ来てくれた。もちろんその足ですぐにタイに戻っていきました。

体調を崩していた事は僕自身ほとんど周りには言っていなかったので、赤星はこの事をオンタイムで詳しく知っていた数人の1人でした。

もちろん僕からは『わざわざ来なくてもいいよ』と言っていたのですが、それでも彼は貴重な時間を割いてタイから来てくれた。そのときは本当に嬉しかったし、とても励まされました。

 

あるとき、彼と電話で話しているのを見ていた妻が、「さっきの電話、赤星くんでしょ?」と言ったことがあります。「え?なんで分かったの?」と尋ねたら、妻はこう言ったのです。

「だって、電話で話しているときのあなた、とても楽しそうだったから。」

その妻の言葉を聞いたときは、何だか僕も凄く嬉しかった。なんか親友のことを褒められたような気持ちになれたからかな。

 

人生経験が豊富な赤星の今後は当然何も心配していないし、何より赤星にも素晴らしい奥様と家族がいます。

きっと僕にも力になれる時がいつか来るかもしれないし、その時力になれたら嬉しいと思っています。

赤星、本当にお疲れ様でした。そしてこれからも、お互いに励まし合いながら、様々なことに挑戦し続けよう!!!

 

 

Hajime Hosogai.