Column2016/05/14

【Column-003】緑の風-03

 今、細貝萌の自宅はWifiが故障している。現在の基本的な通信手段はトルコで購入したスマートフォンのみ。しかし、パケット通信は日本と同じく、使用すればするほど料金がかさむ。現在は第一子出産のために伴侶が日本へ一時帰国しているので、単身赴任の細貝がやることは限られている。自宅からブルサスポルの練習場への往復、途中のカフェでゆっくりし、巨大ショッピングモールでウィンドウショッピングもする。あとは自宅で読書するか映画を観るか、何もすることがなければパソコンを広げてお世話になっている方などと連絡を取る。だから自宅のWifiに不具合があると、数少ない余暇に多大な支障を来す。

 「もう、ホント困ってる……。でも、トルコの人はのんびりしているというか、マイペースというか、『Wifiを修理して!』と言っても、なかなかやってくれないんだよね。毎日、『明日には直すから〜』って言って、もう20日ぐらい経つかな。でも、最近はもう慣れちゃって、僕もあまりストレスも溜まらなくなったね。『直らないなら、仕方ないか』って、気長に待つことにしてる。おかげでドイツ携帯や日本携帯は今、家ではほとんど使ってないね(笑)」

  2011年初頭に日本からドイツへ渡り、約4年半過ごした。ドイツは快適で、勤勉なドイツの国民性も日本人のメンタリティと合い、不自由は何もなかった。しかし昨年の夏にトルコへ降り立ってからは、異なる文化に身を置いていることを実感する。

 「トルコの人々は良い意味で大らか。ここの人々はとても優しいし、親身になってくれる。でも一方で、とてもマイペースでもあるかな。それと、今のトルコは治安の問題がある」

  2016年4月27日、ブルサ市内中心部にあるモスク(イスラム式の教会)で自爆テロによる爆発が起きた。自爆犯が死亡し、爆発に巻き込まれた13人が負傷する事件だった。

 「ウル・ジャーミィっていう、トルコでも有名なモスクの傍にある商店街で爆発した。僕らも日本から両親が来たときや、友達が来たなどに、街中を案内するためによく歩いていた場所だった。やっぱり驚くよね。今のトルコはIS(イスラミック・ステート)のテロ行為や、トルコ政府とクルド人民族との対立などがあって、首都のアンカラや大都市のイスタンブールなどで頻繁にテロ事件が起きている。ブルサはISの活動地域であるシリアの国境付近から遠いから、これまではそのようなテロ事件がなかったけど、ついに起こってしまった」

  ブルサを2度訪れた筆者の感覚としては、この街でテロ事件が起こるのは信じられない。ブルサの町並みは清潔で、小奇麗なレストランやカフェが軒を連ね、巨大デパートには老若男女が集い、街路は深夜まで人が行き交っている。ヒジャーブを纏った女性や荘厳なモスク、早朝や夕方に街中に設置されたスピーカーからコーラン(経典)が流れるところはイスラム色を感じるが、それ以外は日本とさほど変わらず、温泉が湧き、冬場にはウルダー山でスキーを楽しめるここは、むしろ異国情緒漂う穏やかな景勝地だ。

「これまでのブルサは平和で、何も問題はなかった。でもトルコは今、様々な問題を抱えていて、気をつけなければならない部分がある。ここの人々は穏やかだけど、その中で宗教の問題や民族間の対立、貧富の差などが生まれていて、それぞれに思いがあるんだと思う。外国で暮らしていると、そこに住む人々の環境や心情を直に感じ取ることができる。それは時に難しい問題や危険に直面することにもなるけど、その経験を積める今の自分の境遇を貴重だとも思っている」

 現状のトルコ国内はどこでも安全に過ごせるとは言えない状況だ。しかし細貝はトルコ・シュペルリガのブルサスポルに所属するプロサッカー選手であり、国内リーグを戦うためにトルコ各地を転戦しなければならない。時にフェリーに乗って対岸の街へ、時にバスで長時間移動、時にはチャーター機で空路移動することもある。

 先日は、リーグで首位を走るベジグタシュとのアウェー戦を戦うためにイスタンブールへ赴いた(2016年4月11日)。今一戦はベジグタシュがホームスタジアムを改装して臨む、こけら落としのゲームだった。もとよりブルサスポルとベジグタシュのサポーターは犬猿の仲と言われ、頻繁に双方の衝突騒ぎが起きる。直接対決ともなればボルテージは最高潮に達し、ゲームは良い意味でも悪い意味でも白熱した。

 試合前日、筆者の携帯が鳴った。細貝からだった。

「明日は体調不良で試合出られそうにない。今日も練習が出来なかったし、何も食べられてない。昨夜は吐きっぱなしで全然寝れなかった」

  しかし、それでも細貝は試合当日のピッチに立っていた。結果は2−3でブルサスポルの敗戦。細貝は右サイドバックで先発フル出場したが、試合終了直前の後半アディショナルタイムに相手MFリカルド・クアレズマに強烈なチャージをかましてイエローカードを受け、それまで試合中に丁々発止のバトルを演じていたクアレズマが激昂し、細貝へ食って掛かったところで試合が終了。揉み合いになったことで、ゲーム後に細貝とクアレズマ双方に警告処分が下される大荒れのゲームとなった。

「クアレズマへのファウルでイエローカード。また、試合終了後の一悶着で2枚目のイエローを受けたので、、結局知らない間に退場処分になってた(笑)。クアレズマはベジグタシュサポーターに人気がある選手だから、当然僕は大ブーイング。っていうか罵声、怒声が行き交って、スタジアムを出るチームバスにも相手サポーターが当然群がってたね。試合後、自分のインスタグラムにはベジグタシュサポーターからの脅迫めいたコメントが10分間で400件くらい投稿されて、仕方ないからアカウントを一時閉鎖した」

試合翌日の細貝は少し落ち込んでいるように見えた。それは相手サポーターから受けた脅迫めいた言動への恐怖なのか、相手選手の迫力に気圧されたからなのか。

「別に、相手サポーターや選手にビビったりはしないよ(笑)。そうじゃなくて、先発フル出場したのにチームが勝てなくて、退場してしまって次の試合に出られないことに落ち込んでる。僕にとってはチームに貢献できないことが何より悔しい。それ以外に、自分が落ち込む理由なんてないよ。僕はブルサスポルの一員だから」

 それでも、プロサッカー選手には、かけがえのない味方がいる。

 敵地・イスタンブールからフェリーでマルマラ海を渡り、ブルサ北部のイェニカプ港に着くと、そこには大勢のブルサスポルサポーターが緑色の発煙筒を焚いて大挙詰め掛けていた。退場した細貝へも熱い声援が飛び交う。

「『ホソガイ! よくやった! お前は最高だ!』って言ってくれてたね。皆が自分に対して一斉にコールしてくれてたのは、バスの中でヘッドフォンをしていても分かったよ。嬉しかった。また明日から頑張ろうって思えた。サポーターに応援してもらえる。他にも、自分を応援してくれる人がたくさんいる。それがプロサッカー選手の、一番の喜びだよね。」

(続く)