Column2016/06/1

【Column-005】緑の風-05 「恩師について」

 

細貝萌は約5か月ぶりに日本へ帰国した。2015年8月27日にトルコ・シュペルリガのブルサスポルへ期限付き移籍し、リーグが中断したのを利用して年末から年始にかけて約4日間一時帰国した時以来、久しぶりに母国へ戻った。

 細貝にとって日本は、やはり落ち着ける場所だという。

「やっぱり日本はトルコとは違って、自分の生まれ故郷だし気持ちが安らぐ。周辺にはたくさんのスーパーやコンビニがあるから便利だしね。スーパーに行くと美味しそうな食材がたくさん並んでいて、『やっぱり日本は暮らしやすいな』と思う。まあ、これは僕自身が日本人だからそう思うんだろうけども(笑)」

 

細貝は生粋の日本食党である。だから海外での生活では食生活に苦労する。ドイツでは大抵どんな街にも日本食レストランがあり、食材も豊富だから不便はなかった。それに結婚して伴侶と暮らしていたから、日常的に手料理を振る舞ってもらうこともできた。ドイツでプレーしていた時はクラブハウスで出される味のないパスタや硬いパンに辟易して、妻におにぎりを握ってもらい持参していたこともある。それはかつての同僚である原口元気(現ヘルタ・ベルリン)から聞いた話だが、以前はまだ結婚していなかった原口は「いいよなー」と、細貝のことを心底羨ましがっていた。その原口も結婚して伴侶とベルリンで暮らしているので、もしかしたら彼も今はクラブハウスに愛妻のおにぎりを持参しているかもしれない。

 

 プロサッカー選手にとってシーズン終了後のオフは安息の日々であると同時に、来シーズンに向けた準備を始める時期でもある。

 

 細貝はシーズン終了後から約10日間は必ず身体を休め、トレーニングをせずに過ごす。ここでしっかり心身ともに冷却期間を置かないと、来るべきシーズンで負傷のリスクが高まることを理解している。細貝も今年で30歳になる。これまでプロサッカー選手として経験したことを糧に、彼は今、静かに時を過ごしている。

 

 一方で、あまりにも身体を休め過ぎると、自らの身体が再び『戦場』順応できなくなる不安もある。せっかくトレーニングを重ねて築き上げた肉体が少しの休息で削がれてしまう。

また、あまりにも休み過ぎると、シーズンが始まり、キャンプに突入した時に厳しいフィジカル強化を怪我なく積まねばならない。選手によってはまったく自主トレーニングを行わずにキャンプへ臨む者もいるが、細貝はある程度の下準備をしてからチームに加わることを旨としている。

 

「選手によってオフシーズンの過ごし方は違う。例えばブラジル人選手は、あまり身体を作り上げないでチームに加わるから、明らかに体重が増加した状態で現れる選手もいるからね(笑)。逆にドイツ人選手は日本人選手と同じで、しっかり自主トレーニングしてからチームに加わるから、久しぶりに集合した時には引き締まった身体になっていることが多いね。そのあたりは国民性や民族の違いを感じる。日本人とドイツ人ってやっぱりどこか似ていると思う。だからあんなに住みやすい国なんだと思う」

 

 また、今の細貝はこれまでと異なる境遇に立たされている。現在の彼はドイツ・ブンデスリーガのヘルタ・ベルリンからブルサスポルへ期限付き移籍している身であり、2015—2016シーズンが終了した時点で一旦契約の見直しを図らねばならない。

まずはヘルタの選手としての立場へと戻り、その上でブルサスポルとの契約延長のオファーを受けるか、あるいは他のクラブとの契約交渉に臨むか、それともヘルタでのプレーを決断するか、様々な選択肢がある。5月末の現在、細貝の去就は何も決まっておらず、すべてはこれから動き始める。

 

「もちろん来季に関して不安がないと言えば嘘になる。いつもと違って落ち着かないところも少しあるし、所属するクラブによってシーズンのスタート時期が異なる場合もある。でも、いずれにしても全ての決断をするのは自分だから。一度決断したら後悔することはないと思っているし、その時に改めて気が引き締まると思う。でも、来季で海外でプレーするのは7シーズン目。たった7シーズンで日本に帰るわけにはいかないだろ…って自分もいる。」

 

 先日、日本の報道で細貝の去就についてニュースが流れた。かつてアウクスブルク、ヘルタ・ベルリンで監督を務めたヨス・ルフカイ氏がブンデスリーガ2部・シュツットガルトの監督に就任したことで、かつて細貝を重宝した指揮官が獲得を所望しているという。

「まだ、まったく分からないよ(笑)。すべてはこれから。でもルフカイ監督は自分が日本からドイツへ行った時、初めて所属したアウクスブルクで監督を務めていて、当時言葉もまったく分からなかった自分を抜擢してくれた人物。そのアウクスブルクで約1年半、そしてレヴァークーゼンからヘルタに移籍してからの約1年半の合計約3年間一緒に仕事をして、彼は僕の良いところも悪いところも知っている」

 

 ルフカイ監督との思い出は数多くある。その中で印象深かったのは、言語に関する指揮官のアドバイスだった。

 

「アウクスブルクに加入した当初、僕は言葉の不安があって、日本語からドイツ語に訳してくれる専属通訳をチーム内に置いてもらった方が良いのかと考えることが一度あった。でもルフカイ監督は『それはやめたほうがいい』と助言してくれたんです。『これからドイツで戦っていくのならば、その国の言語をできるだけ早く習得した方がいい。それには通訳が障害になる』『お前にとっても良いことではない』と」

 

 ルフカイ監督の教えを受けて、細貝はドイツ語を勉強した。当初はチームメイトのアフリカ人選手などと英語でコミュニケーションを取るだけだったものが、ドイツ人選手と積極的に話をしてドイツ語を駆使するようになった。その結果、今では問題なくドイツ語を介すことが出来る。

「アウクスブルクを離れてレヴァークーゼンへレンタルバックした時、レヴァークーゼンでは、皆ドイツ語ばかり話すから少し困ったぐらい(笑)。でも、その中で鍛えられてドイツ語を習得することで、仲間との信頼関係も築けるようになった」

 レヴァークーゼンからヘルタへ移籍してルフカイ監督と久しぶりに再開した時、細貝は恩師からこう言われたという。

「お前、ドイツ語、上手くなったなぁ」と。

 ただ、プロサッカーの世界はシビアな面も持ち合わせている。ルフカイ監督は確かに細貝を育てた恩師だが、もし彼に請われて新たなチームへ加入しても、それが永続的な関係に繋がる保証が一切ない。

「ヘルタでもそうだったけど、プロサッカーの世界ではいつ監督が交代するか分からないし、選手もその場に居られる保証がない。監督との信頼関係を築くことはとても重要なことで、人間としても成長に繋がると思う。でもプロの世界ではどんな舞台でも、どんなコミュニティでも、そのチームに順応して自らの力を発揮しなければならない。すべてが安泰な環境なんてないよ。それを覚悟した上で、次のステップをしっかり選択しようと思ってる。」

(続く)