Column2016/07/7
昨シーズンの戦いを終えてから約1か月半が過ぎた。
この間、細貝萌は母国・日本へ帰国し、待望の第一子誕生の瞬間にも立ち会った。母子共に健康で、新たな家族を得た彼は、つかの間の休息を有意義に過ごした。これまでのオフシーズンは旅行に出掛けたり、多くの知人と会うなどしてリフレッシュしてきたが、今回は愛娘の誕生もあって日本に留まり、自宅からほとんど離れなかった。それでもプロサッカー選手としての生活サイクルは保っていて、ジムでの筋力トレーニングや心肺機能を高める運動に勤しみ、心身の鍛錬を怠らなかった。
細貝は2011年1月に日本からドイツへ渡り、昨年はトルコで生活した。2011—2012シーズンはアウクスブルク、2012―2013シーズンはレヴァークーゼン、2013—2014はヘルタ・ベルリン、そして2015ー2016シーズンはブルサスポルに所属。
2005年に浦和レッズでプロサッカー人生をスタートさせてからこれまで、細貝は総計5クラブでプレーしたことになる。6月10日に三十路を迎えた今、彼の眼前には未だ大海原が広がり、その身を投じる覚悟もできている。
細貝は現在、ヘルタ・ベルリンと2017年6月までの契約を結んでいる。昨季在籍したブルサスポルはレンタル移籍の形だったが、ブルサスポルには選手契約の買い取りオプションがあり、トルコのクラブが欲しがった場合、細貝自身が望めばトルコでプレーし続けることも可能である。だが、今の彼は名目上あくまでヘルタ・ベルリンの選手である。
ベルリンでは栄光と挫折の時を過ごした。ヨス・ルフカイ監督が率いた2013年当時のヘルタではボランチのレギュラーとして輝かしい実績を積み上げた。しかし2015年途中に成績不振を理由にルフカイ監督が解任されてパル・ダルダイ監督が就任すると、細貝のチーム内での立場が大きく変化した。試合出場を果たせないどころか、練習試合や紅白戦でユース選手がピッチに立つ中で、彼だけがグラウンド外でのランニングを命じられたこともある。
ストレスで体中に発疹が起き、体調を崩すことでプレーパフォーマンスを保てず、結局昨季シーズン開幕直後にブルサスポルへのレンタル移籍を決断した。
しかし細貝にとって未知の国だったトルコでの生活は心温かい現地の方々との交流と、自らを戦力として評価してくれるチーム、監督、選手たちとの触れ合いによって充足された。挑戦には強固な信念を必要とされるが、その末に得られるかけがえのない経験と成果は何物に変えがたいものであることを、今の彼は知っている。
そんな中、細貝の未来は今、不透明な状況が続いている。7月初頭にシーズンをスタートさせたヘルタ・ベルリンから招集を受けてドイツへ帰還したが、ダルダイ監督の今季のチーム強化計画の中で細貝が戦力として見なされているかは分からない。また細貝自身もステップアップを期して新天地でのプレーを望む可能性もある。現在、彼の元には日本のクラブも含めた複数の獲得オファーがあるとも報道されている。本人の判断が今後の去就を決める鍵となる。
「チームがどうこうというよりも、何処へ行ったら自分にとって本当に良いのか。いずれにしても、全ては自らの決断次第。僕は一度決めたことに関しては絶対に後悔しない」
筆者個人の想いとしては、未だ細貝の海外での冒険は終焉を迎えていないと思っている。断固たる決意で海外へ渡航した2011年の冬から、彼のプレースタイル、プレーパフォーマンスに一切変化は感じられない。トルコで観た彼の姿は相変わらず力強く、聡明だったし、どんなポジションでもチームに貢献しようとする気高い姿勢も健在だった。
ブルサのティムサー・アレーナでリーグ優勝を狙う強豪フェネルバフチェと対戦した時、右サイドバックの細貝は何度も相手のアタックを受けて防戦一方になった。絶え間ない危機の中で一瞬だけ呼吸を整える瞬間が訪れると、彼は両脇に手を当て、肩で息をしていた。『これは、限界かもしれない』。それを察した時、細貝がベンチに陣取る監督へ大声を上げて何かを叫んでいた。
「センターバックのチェコ代表キャプテン、トーマス(シボク)が少し足を痛めて『もう限界だ』って言っていたんだよ。だからベンチに近いライン際の自分が監督に伝えた。それが3人目の交代になったね。俺はきつくなかったかって? きつかったよ(笑)。何度も相手が攻めてきて、正直自分が攻撃を仕掛けるなんて到底できなかったけど、0−0の状況で、こっちはホームだから何とか勝ち点1は得たかった。だから必死で、最後まで足を止めちゃいけないって辛抱し続けた」
細貝は決してテクニックのある選手じゃない。圧倒的なスピードで相手を抜き去るわけでもないし、屈強なフィジカルを誇示したりもしない。しかし彼にはチームの勝利に邁進する揺るぎない意志がある。息を吐くのも苦しい極限状況で、決して諦めない意志がある。
サッカー人生も同じだ。未だ前を見据える細貝には、もうしばらく挑戦の時を過ごしてほしいと願う。
(続く)