Column2016/07/26

【Column-010】緑の風-10 新天地へ

 

細貝萌の新たなる挑戦の場が決まった。昨季のブンデスリーガで2部に降格し、今季は1部への再昇格が至上命題となる名門・シュツットガルトだ。

 

オフ期間を過ごした日本から所属元のヘルタ・ベルリンへ帰還してからの細貝は、厳しく辛い時を過ごした。昨季途中から指揮を執るパル・ダルダイ監督はやはり細貝を最初からチームの構想外とし、細貝はキャンプ中に実施されたトレーニングマッチへの参加すら許されなかった。17、18歳のユース選手、そして監督の息子までがゲームに出場する中で、細貝やロニー、ロイ・ベーレンスらの構想外選手はスタンド観戦を強いられた。その後、ベーレンスはイングランド・チャンピオンシップ(2部)のレディングFCと契約がまとまったため、ベルリンを離れた。一方の細貝は慎重に次のステップアップを模索しながらベルリンでトレーニングを積んだ。

 

元々ベルリンのクラブスタッフ、選手らとは旧知の仲で、チームメイトと連れ立って市内の日本食レストランに出掛けてリフレッシュもした。ただ、所属選手全員に課せられるはずの体力測定のリストや各自渡されるクラブからの支給品、そしてクラブハウスのロッカーに自らの名前すらない状況にはさすがに本人も、今季の宣材写真撮影を求める広報スタッフに対して思わず、「僕はやる必要あるの?」と不満をぶつけてしまったこともあった。

 

それでも細貝が沸々とポジティブな闘志を燃やし続けられたのは、自らがヨーロッパの舞台で戦い続けることができるという確固たる自信と信念があったからだ。

 

昨季レンタル移籍したトルコのブルサスポルでは買い取りオプションを行使して正式契約を交わすオファーを受けたが、断腸の思いでそれを断った。ヘルタで燻り、明日への光が見出せない中で自らを受け入れてくれ、ボランチ、サイドバックでプレーした悠久の古都での日々は忘れがたき思い出である。この時細貝は、自らが望まれてプレーすることの尊さを知った。

ブルサスポルのサポーターは敵地・イスタンブールでのベジクタシュ戦でリカルド・クアレスマと激しいバトルを繰り広げて退場処分を課せられた細貝を故郷のフェリー港まで出向き、手厚く労った。あの時聞いた彼らのコールは細貝の心に深い感慨と、クラブの一員として戦うことの意義を改めて芽生えさせた。

 

各種報道では、細貝には今回完全移籍を決めたシュツットガルト以外にブンデスリーガ1部のダルムシュタット、2部の1860ミュンヘン、その他に他国、そして母国・Jリーグの各クラブからも数多くの獲得オファーが届いていた。そして、いくつかのチームは監督、スポーツディレクター自らが細貝との面談を希望して話し合いを進めた。

その中で細貝は、かつての恩師であり、自らを良く知るルス・ヨフカイ監督率いるシュツットガルトで新たな挑戦を始める決意をした。

 

「例えばブンデスリーガの1部でプレーしたほうが、後に日本代表に選出される可能性が高くなるかもしれない。でも、今の僕は代表に選出されるためにプレーしているわけじゃないからね。あくまでも自らが何をしたいのか。そして、純粋に僕の力を求めてくれるクラブのために戦いたい。僕は周りの目は気にしないから」

 

シュツットガルトはブンデスリーガの優勝歴もある名門クラブだ。当然今季限りで2部から1部へ返り咲き、再びマイスターシャーレ(タイトル)争いをするチームへと脱却したい。細貝としては、そのクラブの姿勢と目的にも共鳴した上で、ドイツ南西部の由緒ある工業都市へ赴く決心をした。

 

細貝にとって、今季は2011年初頭にレヴァークーゼンと契約した直後にレンタル移籍したアウクスブルク時代以来となる、ブンデスリーガ2部での戦いとなる。

 

「様々なクラブが興味を持ってくれた。今回決断したシュツットガルト以外のクラブに断りの連絡を入れるのは悲しいというか、本当に申し訳ない思いで一杯です。だからこそ、シュツットガルトでは『アイツを獲得できなくて残念だった』と思われるようなプレーがしたい。今は、チームのためになるのであればどんなポジションでもやる。かつてはボランチのポジションに拘りがあったけど、今は違う。以前、アウクスブルクやヘルタでルフカイ監督の下でプレーした時もサイドバックやセンターバックでプレーしたことがある。監督から求められるならば、どんな役割でもチームのために貢献したい。ルフカイ監督にもすでに、『どこでもプレーする』と伝えている。それだけの覚悟を持って、シュツットガルトの選手として全力を注ぐ覚悟です」

 

(続く)