Column2016/08/15
センターバックからボールを受けて、ワンタッチしてターンして味方にボールを預けた。何でもない一連のプレーだ。それなのに、左もも前の筋肉がピンと張りつめた感触があった。異変を察しながらプレーを続けたが、こらえ切れなくなって審判に異常を訴え、ピッチに倒れ込んだ。駄目かもしれない。観念した細貝萌は、ヨス・ルフカイ監督に交代を申し出て、僅か11分でその場を去った。
実は開幕戦の前節、ザンクトパウリ戦で予兆はあった。セカンドボールの競り合いからの流れで、相手よりも一歩先んじてボールを奪い味方に預けた直後、勢い余った相手のキックが自らの左膝上付近を痛打した。腿に強烈な痛みが生じたが、同時に何故か喉の奥を裂傷して大量に出血した。ルフカイ監督がプレーを続行できるか問い質したが、本人はプレーし続けると即決した。原因は分からないが、喉奥の出血は腿の打撲のダメージを如実に物語っていた。試合が終わり、自宅に戻っても腿の痛みが引かない。結局この日は2時間しか寝られず、アイシングなどの治療に専念した。そして、中3日で予定されていたデュッセルドルフとのアウェー戦に向けて準備を重ねた。
本来ならば、出場を回避して治療に専念すべきだったのかもしれない。しかし、自らの力を請われて2部に瀕するチームを1部に昇格させる責務を負った身としては、断固として譲れなかった。試合に出場し続ける。信念に突き動かされた彼は、過密日程の中でアウェーのピッチに立ち、そして倒れた。
「左太もも前の肉離れ。全治は2,3週間という診断を受けた。これまで皮膚の問題で離脱したことはあるけど、こういう怪我は浦和レッズに在籍していた時代まで遡らなければならないほど記憶に無い。前にも言ったけど、ザンクトパウリ戦で打撲していた。でも、中3日の試合も当然出場したかったし、出来ると判断したからプレーもした。打撲した箇所に関してはドクターともしっかり話して治療やマッサージなどをして、出来る限り回復させたつもりだった。打撲箇所は当然痛みがあったけど、デュッセルドルフとのゲームでウォーミングアップしていた時は身体も温まってプレーに何も問題はなかった。思った以上に症状が悪かったのかもしれないけれども、それでもプレーはできると思っていた。その結果、11分で交代してチームに迷惑をかけてしまったことを悔やんでいる。結局チームも敗戦してしまったから」
連勝したかった。41年ぶりに2部降格を喫した名門の復活に、自らの力が求められている。ヘルタ・ベルリンから完全移籍して僅か10日後にスタメン起用してくれた監督の信頼にも応えたかった。三十路を迎え、若手選手にプロサッカー選手としての姿勢を示したかった。毎日、誰よりも遅くまでクラブハウスに残り、鍛錬に務めてきた。それなのに、結果的には自らが足を引っ張り、僅かな交代枠を使わせてしまい、チームは敗戦を喫した。悔やんでも悔やみ切れない……。
簡単じゃないことは分かっていた。チームが始動する中で、自らは移籍交渉の事情で途中合流した身だった。2部であろうとも結果を残すのは難しい。それでも移籍金を払って獲得してくれたクラブの恩義に報いたい。その一心で闘ってきたが、小休止を余儀なくされた。
それでも前向きに考える。肉離れのケガが全治2、3週間だったことは幸いだった。もしかしたら、普段の心身のケアが症状をここまで軽くしてくれたのかもしれない。膝付近はデリケートで、重いケガの場合は1年以上の離脱を余儀なくされることもある。それを考えれば、早期復帰の見通しが立つケガだったことは不幸中の幸いだった。カップ戦1試合、リーグ戦1試合を欠場すれば、国際Aマッチウィークを挟んで次のリーグ戦で復帰できる予定だ。
しかし、焦りは禁物だ。今季は所属クラブが決まらない中、気を張った状況が続いてきた。相手のキックを腿に受けてダメージを加えられたとはいえ、何故喉の奥が裂けたのか、今でも分からない。ただ、このシーンに関して言えば、それだけの衝撃だったという証だ。
遠き日本で思う。細貝萌は想像以上のプレッシャーに晒され、それでも踏ん張って闘い続けている。個人的な感情であることをご容赦願いたい。一瞬でもいいから、少しだけ休んで欲しい。2,3週間で復帰となると、最初の約1週間の間は何のストレスもなく、安住の日々を過ごしてほしい。ルフカイ監督は間違いなく彼を信頼しているはずだ。そして共に闘う仲間も、わずか1試合と11分の間に、その闘志を垣間見たはずだ。サッカーという競技はピッチに立つ11人だけではなく、その他の選手、チームスタッフ、クラブに従事する方々、そして献身的なサポーターが支えている。挽回の時は必ず来る。
細貝の負傷のニュースが流れた時、かつて北京五輪の舞台で共に戦った西川周作(浦和レッズ)が、すぐに本人へメールを送った。
「ハジ、ケガしたんだって? 移籍したばかりなのに……。でも、ハジはこんなことでへこたれないよね。強い選手だもん。でも、少しだけ休んで欲しいな。それで、十分休んだら、また走り続けて欲しい」
彼に期待を寄せる者がいる。日本、トルコ、ドイツ。細貝萌が辿った道筋に、その痕跡が刻まれている。
続く