Column2017/03/28
細貝萌は、ドイツ・ブンデスリーガ2部のVfBシュトゥットガルトから日本のJ1リーグのクラブ、柏レイソルへの完全移籍を決め、ドイツを発ち、3月24日朝に日本へ到着。その足で成田空港から千葉県柏市へ向かい、午後には早くも記者会見に臨んでいた。表面的には電撃だった今回の移籍だが、細貝自身は移籍を決める前に相当の時間を要し、十分に熟考した上で決断していた。
「去年の12月の段階ではシュトゥットガルトから他のクラブへ移籍することは考えていなかった。でも、2017年に入ってから何かの変化を加えなきゃいけないというのが自分の中のテーマにあって、方向性を模索していた。今季はシーズン中に2度も負傷してしまい、その都度戦線離脱してリハビリをする期間も続いた。そして新しい選手を獲得したりすることで、チーム内での自分の序列も変わっていったこともあって、6年ぶりに母国でプレーするという気持ちになった。チームが結果を出す中でベンチ入りすらできない状況は何よりも厳しかったし、当然この状況は、自らの環境を変えたいと思う一番の理由になった」
新天地・柏に降り立った細貝は記者会見直後にホームスタジアム・日立柏サッカー場(日立台)のピッチでフィジカルコーチと共に軽いウォーミングアップをして身体をほぐし、翌日には早くもチームの練習に参加した。
「昨日は空港からクラブハウスに着いてそのままメディカルチェックを受けたんだけど、それとほぼ同じ時間に練習が始まったから、チームメイトと練習する時間はほとんどなかったんだよね。また翌日は大学チームとの練習試合が組まれていて、自分は帰国直後で時差ボケなどもあったから下平監督とも話して試合出場は控えて、コンディション調整に努めた」
2011年の1月に浦和レッズからドイツ・ブンデスリーガのバイヤー・レバークーゼンへ移籍した細貝は今回、約7年ぶりにJリーグでプレーする。もちろんドイツでプレーしていた時代も日本サッカー界の事を気にかけてJリーグの情報も得ていたはずだが、実際にピッチに立つとなれば以前との違いに戸惑うかもしれない。また柏レイソルというクラブ、チームについては彼自身初めて加わる組織で、まずはそのチームカラーや雰囲気を感じ取らなければならない。
「東洋大学との練習試合は1本目を観ました。その後僕も練習だったからね。まだチームに加わっていないから何とも言えないけども、ここで自分がどれくらい生きるのかは考えていた。今の柏は本当にチームが若いんだよね(笑)。練習試合の前に若そうな子が2人で話していたから、『若いね!何歳?』って聞いたら、『17歳です』だって(笑)。彼らは練習試合で駆り出されてきたユース選手たちだった。トップチームの選手かと勘違いしちゃったよ(笑)皆うまいからね! でも他の柏のプロ選手たちも顔が若い。だから少し世代間のギャップを感じてしまう(笑)。海外の選手は10代でも大人の顔つきをしているから歳が離れていても違和感がないんだけど、日本の選手はやっぱり10代だと若さを感じるよね。それは最近ドイツで暮らしていたから忘れていた感覚だった。でも日本語だとスムーズにコミュニケーションとれる分、余計に若い選手が僕に気を使ってしまうことがあるかもしれない。最初は仕方ないと思うけど、そこは徐々に遠慮しなくていいように、僕からアプローチしていきたいと思ってる」
長く日本を離れていたことで、今の細貝は面識のある選手が限られている。
「柏では大津と(鎌田)次郎くんは以前から知り合いだったけど、柏ではその2人しか直接は面識がない。大津はフル代表で一緒にプレーして、海外でも会ったことがある。彼はドイツやオランダでプレーしていた時期があるから、家にご飯を食べに来たこともあるよ。次郎くんは北京五輪代表候補合宿の時に出会った同世代の選手。確か当時の次郎くんはまだ流通経済大学に在籍していて、強化指定でJリーグのクラブに在籍していたんじゃないかな。記者会見の翌日には大津に誘われて昼食に行ったよ。街のイタリアンレストランで、他に輪湖直樹くんと栗澤遼一さんも来てくれた」
新たな環境に馴染むことは重要だが、細貝に課せられた究極の役割は柏レイソルというチームに貢献し、確固たる成果と結果をもたらすことにある。
「登録の手続きが間に合うならば、4月1日のサンフレッチェ広島戦から出られるみたい。ただ今のリーグ中断期間中の2週間でしっかり準備してきた選手たちもいるから、自分が簡単に出場できるとは思っていない。まずはコンディションを整えて、戦えるだけの状態にしなきゃいけないよね。いずれにしても、これからが楽しみだよ。少しでも早く柏サポーターに認めてもらえるように頑張らないといけないからね」
新チームに加わったばかりの細貝は顔色が良く、黄色と黒のユニホームを着て早く新緑のピッチに立ちたい欲求が高まっていた。眩しい太陽が降り注ぐ街で、彼とチームが紡ぐ物語の新章が始まった。
Column2017/03/24
細貝萌は、ドイツ・ブンデスリーガ2部のVfBシュトゥットガルトから日本のJ1リーグに所属する柏レイソルへの完全移籍を決めた。
2016年8月、ヘルタ・ベルリンから新天地を求めて再チャレンジを始めたドイツ南部の大都市では様々な出来事があった。細貝が師事してシュトゥットガルトへの移籍を決断する動機となったヨス・ルフカイ監督がシーズン開幕から数試合で辞任したことは青天の霹靂だった。また細貝自身もシーズン序盤に右足太もも前を肉離れし、続けて右足小指の骨折にも見舞われて苦境に陥った。骨折直後に痛み止めの注射を打って強行出場した第9節のディナモ・ドレスデン戦は0-5の大敗。本人の調子は悪くなく、自らのプレーパフォーマンスだけが敗戦の要因ではなかったが、それでも責任を痛感した細貝は改めて戦線離脱を決意し、そこからハネス・ヴォルフ監督率いる新チームの中で序列に変化が生まれた。
「2017年を迎えてから、何かの変化を加えなきゃならないというのが自らのテーマだった。もちろん、それはシュトゥットガルトというチームの中で、とにかく何か変化を求めていた。でも、ウインターブレイク明けの強化キャンプ中に練習試合での強い打撲で別メニュー調整を強いられ、ここで一層チーム内の立場が厳しくなった」
長期的なチーム構築を見据えるヴォルフ監督はシーズン中に度々負傷してチームを離れる三十路の選手のプライオリティを下げ、アンカーのポジションに24歳のマティアス・ツィンマーマンや20歳のアント・ギルキックらを起用し、新たにガーナ代表であるオフォリを戦力として獲得した。それをきっかけに細貝は負傷が癒えた後もベンチ入りメンバーから外れるようになった。
「2011年の冬にJリーグの浦和レッズからドイツ・ブンデスリーガ2部(当時)のアウクスブルクへ移籍してからこれまで、自分はドイツでほとんど負傷したことがなくて、チームに帯同できないこともなかった。でも今回は時間が経つにつれて立場が厳しくなってきて、何かしらの決断を下さなきゃならない状況にあることを自覚した」
昨年6月に30歳を迎えた細貝は、これらもヨーロッパでプレーし続ける意思を持っていた。しかし今回、精神的にも立場的にも極限の状況に置かれる中で、彼は数年ぶりに母国でのプレーを憧憬するようになった。
「正直、昨年の6月、そして12月の段階ではチームを移籍する、もしくは日本に帰る選択肢を持ってはいなかった。だからこそ数多くあったJリーグのオファーも断った。でも、今のこの状況はプロサッカー選手として行動を起こさなきゃならない時だと思ったんです。所属チームでベンチ入りすらできないのは何よりも厳しい。自分のサッカーキャリアの将来を見据えた末で、選手はやはり、自らの力を一番求めてくれる場所でプレーするのが最善だと考えたんです」
今季のヨーロッパ4大リーグの移籍期間は1月31日が締め切りだった。つまり今の状況では細貝の選択肢は限られていた。それでもシーズン中の移籍を模索した時、真っ先に頭の中に浮かび上がったのはJリーグでのプレーだった。
「Jリーグの冬の移籍締切は3月31日まで。嬉しいことに、このタイミングにも関わらず僕に対して幾つかのクラブが興味を示してくれたんです。そして今回、柏レイソルというチームの正式オファーを受けて、このクラブへ移籍する決断をしました。今の自分の年齢、柏のチームスタイル、そして自分のプレースタイルがマッチするのかどうか。今季の柏は現在リーグ3連敗中で、その中で僕の力が少しでも役に立てばという思いがある。僕は、このチームの助けになりたい」
細貝は前橋育英高校から2005年に浦和レッズへ加入し、Jリーグで6シーズンプレーした。当時と現在ではJリーグの環境やレベルに差異があり、自らのプレースタイルも変化している。しかし、それでも彼には豊富な経験に裏打ちされた自信と個性がある。
「今の柏は若いチームという印象がある。僕がこのチームに入ると、自分はチーム内で4番目の年長者になる。そうなれば自分のことだけに邁進するのではなく、チームメイトを引っ張っていく役割も求められるのは当然。僕はできる限り、その尽力をしたいし、その覚悟もしている。でも、それと同時に僕は日本でプレーするのはかなり久しぶりなので、柏のサポーターが歓迎してくれるかが少し不安なんだよね……。僕のことを少しでも知ってくれていれば良いんだけど…(苦笑)」
一方で細貝は、かつて所属した浦和にはどんな思いを抱いているのだろう。
「僕は浦和レッズというクラブに育てられてドイツで挑戦することができた。だから以前も今も浦和レッズというクラブが大好きであることに何も変わりはないんです。でも今の浦和はミハイロ・ペトロヴィッチ監督という素晴らしい指揮官の下で、実力のある選手たちがハイレベルなサッカーをしてタイトルを目指している。その中で僕の力がどれだけ必要とされるのか。それは結果論に繋がるから何も分からないんだけど、今の自分の状況、そして今後のことを考えたら熱心に僕を誘ってくれた柏に行くべきだと思ったんです。本当に本当に悩んだけれども、様々な事象を加味した上で決めました。久しぶりに手の肌も一気に荒れ、今は少し精神的にやられている状況なんだけどね…」
簡単な決断ではなかった。それでも細貝自身が備える志は揺るがない。プロサッカー選手として、今出来る最大の力を発揮する。その場所は、黄色と黒をチームカラーとするクラブが相応しいと確信している。
「実は僕が浦和レッズでプレーしている時代は、レイソルが国立競技場でホーム戦を開催していたんです。だから僕は、柏の本来のホームスタジアムである日立台のピッチに立ったことがない。スタンドからピッチまでの距離が近い、あの日立台でプレーした時に、僕はどんな思いを抱くんだろう。実は、小学生の文集には『柏レイソルに入団したい』と書いているんだよね。今は、その時が早く訪れてほしいと願っているし、柏レイソルの選手としてプレーするのが本当に楽しみでならない。そしてこれから僕の人生はどうなるか。きっとこれからも多くの壁が立ちはだかると思う。でも、それを自分の力、家族、応援してくれる方々の力を借りて、一つひとつ乗り越えていきたいと思う。」
細貝萌の、新たな挑戦が始まる。
Column2017/03/2
またしてもベンチ入りしなかった。ブンデスリーガ2部第22節のカイザースラウテルン戦。VfBシュトゥットガルトはシモン・テロッデ、オズジャンのゴールでホーム戦に快勝して首位を堅持したが、その歓喜の輪の中に細貝萌の姿はなかった。これで2戦連続のベンチ外で、彼を取り巻く状況は厳しさを増している。
ハネス・ヴォルフ監督が4−1−2−3のアンカーを任せているのは20歳のスイス人MFアント・ギルキックだ。ギルキックは実戦経験が乏しいものの、大きな体躯を生かしてセーフティーなプレーを貫き、主にチームの守備を支えている。センターバックのティーモ・バウムガルトル、マルティン・カミンスキーとの連係もスムーズで、前線に攻撃性能の高いFW陣を多く配備するチーム構成の中ではバランスが取れている。その証拠にチームは5連勝していて、2位・ブラウンシュヴァイクとの勝ち点差が徐々に開き始めている。1年での1部復帰が至上命題のクラブにとっては着実に勝ち点を伸ばすヴォルフ監督のチームを高く評価しているに違いない。
一方、細貝は安定した戦いを繰り広げるチームで確固たる役割を与えられないでいる。今季3度のケガに見舞われて戦線離脱を繰り返した結果、チーム内でのプライオリティが下がって立場が危うくなっている。日々の練習でのミニゲームでアンカーではなく控え組のセンターバックなどでも起用されているのが、その証拠だ。先のカイザースラウテルン戦ではギルキックをバックアップするアンカーの控えにマティアス・ツィンマーマンがベンチ入りしていて、現状では細貝がアンカーで試合出場を果たすのは難しい。
細貝自身は当然現状打破を期して日々のトレーニングに励んでいる。チームメイトとの関係は良好だし、監督ともある程度のコミュニケーションは取っている。しかし自らの起用法などについては選手の立場上、今のところは表立って何かをアピールすることなく、黙々と鍛錬に努めているのが現状だ。
2月26日の夕方から開催されたホームでのカイザースラウテルン戦後。細貝は旧知の仲間と会食を共にした。ドイツ・ブンデスリーガのヘルタ・ベルリンでプレーする原口元気が2日間のオフを利用し急遽シュトゥットガルトを訪れて試合を観戦し細貝と会ったのだ。また細貝は先日、隣町に住むアウクスブルク所属の宇佐美貴史、ザルツブルク所属の南野拓実ともミュンヘンで会って近況を報告しあっている。プロサッカー選手の後輩であり、ドイツで戦う同志でもある仲間との触れ合いによって、細貝は再び本来の力を取り戻そうとしている。
自らの力を請われずに忸怩たる時を過ごす日々は、サッカー選手として断腸の思いで、何より屈辱である。どんな世界でも自らの居場所を見い出せなければ落ち込むし、自問自答してしまう。それでも時は進み続ける。何かを諦めたり、意欲を無くした時点で成長は止まり、その者は淘汰を受け入れなければならない。
18歳で浦和レッズに加入してプロデビューを果たしてから、細貝は幾多の苦難に直面してきた。浦和では日本代表クラスのチームメイトと切磋琢磨してボランチというポジションで開眼した。その後、勇躍渡欧して所属したアウクスブルクで恩師であるヨス・ルフカイ監督と出会い、ドイツでのキャリアをスタートさせた。レヴァークーゼンではヨーロッパのカップ戦タイトルを戦うチームの中で激しいポジション争いに見舞われたが、ルフカイ監督に請われる形で移籍したヘルタ・ベルリンでは確固たる立場を築いて中盤に君臨した。しかしルフカイ監督が解任されてパル・ダルダイ監督に引き継がれた直後、このチームに細貝の居場所はなく、葛藤の末にトルコへ新天地を求めた。異国の古都・ブルサでの日々は新鮮で、自らの力が確実に蘇る手応えを得た。イスラム社会の中で逞しく生きる現地の人々と触れ合い、3度の監督交代に見舞われたブルサスポルでは多岐に渡る役割を与えられてチームのために尽力した。レンタル期間終了後にはブルサスポルから正式移籍のオファーを受けた細貝はしかし、再び新たなる挑戦を求めて2部降格からの復活を期す名門・シュトゥットガルトの門を叩いたのだった。
三十路を迎えた細貝の現状は厳しい。しかし同じような困難、苦難は今までも経験してきたし、その都度乗り越えてきた自負もある。プロサッカー選手が成すべきことはピッチの上にしかない。長いシーズンの中で必ず自らの力が求められる時が来る。千載一遇の機会に如何に結果を果たせるか。
最大の正念場にして、チャレンジし甲斐のある戦いに打って出る。迷いと不安を払拭した時、そこには鮮やかに復活する細貝萌の凛々しい姿がある。