Column2019/12/12

【Column-073】 [微笑みの国で-10]『再び新天地へ』

 

細貝萌のバンコク・ユナイテッドへの移籍が決まった。

2019シーズンに所属したブリーラム・ユナイテッドから、同じくタイ・リーグ1に所属するバンコク・ユナイテッドが彼の新天地だ。


「ブリーラムでのプレーを観て、バンコク・ユナイテッドから僕に対して獲得オファーがあった。その後、ブリーラムとバンコク・Uとの交渉があって、僕としても自分の力を1番求めてくれるクラブでプレーしたいという思いもあって決断した」

 

昨季のバンコク・Uは優勝したチェンライ・ユナイテッド、そして同勝ち点ながらも直接対決の成績で2位に甘んじたブリーラムと勝ち点8差の4位でフィニッシュしたクラブ。

正式名称は『トゥルー・バンコク・ユナイテッド・フットボール・クラブ』で、1988年に創設された。ホームタウンはタイの首都・バンコクだが、中心部からは約40キロ北にあるタンマサートスタジアムを本拠地としている。


「バンコク・Uはハーフナー・マイクが1シーズンプレーしていたことでも知られているクラブ。僕も昨季のゲームで対戦したけども、外国人選手の能力が高かった印象がある。リーグ戦、カップ戦ともに優勝争いをしていて、ブリーラムと遜色のない実力を備えていると思っている」

 

今回の移籍で、細貝はプロになってから総計9つのクラブに所属することになる。選手生活をスタートさせた浦和レッズ、ヨーロッパでの挑戦を始めたアウクスブルク、そしてレヴァークーゼン、ヘルタ・ベルリン(いずれもドイツ)、そして飛躍を期したブルサスポル(トルコ)での日々、再び最前線での戦いを選択したシュトゥットガルト(ドイツ)を経て、日本への帰還を決意した柏レイソル在籍時代は出場機会が減少して苦悩し、体調不良の末に再起を期したタイのブリーラムで復活への手応えを掴んだ。


「環境が変わることについての不安はないよ。これまで何度も移籍を繰り返してきたし、住む国、街の環境が変わってきたけども、それでもサッカーをプレーし続けてきた。来年は34歳になるけども、今回の移籍でも一人の人間として成長できる機会を得られるメリットを感じている。もう1年ブリーラムでプレーしていたら違った経験を積めたかもしれないけども、バンコクでの新しい日々も自分の内面に確実に積み上がるものがあると確信している。サッカー選手としてよりも1人の人間としての経験が大きい」

 

これまで辿ってきた道のりの中で得られた経験を生かせると確信している細貝は、今回の移籍を前向きに捉えている。

「クラブが変わることで当然新たなチームメイトや監督、コーチングスタッフなどとコミュニケーションをしなければならない。また彼らは日本人ではないので、それぞれの文化を尊重したうえで、彼らにも日本人である僕の考えを受け入れてもらわなくてはならない。僕は今でもタイ語を話すことはできないけど、それでもお互いの信頼関係を築けると思っている。それは今まで得てきた自分自身の経験があるから」

 

ブリーラムはタイ北東部に位置する田舎町だったが、バンコクは東南アジアでも屈指の規模を誇る大都市だ。この点については、家族にとってのメリットもあると本人は思っている。

「ブリーラムとバンコクとでは生活環境がかなり違うと思う。僕も穏やかで静かなブリーラムの街が好きだったし、どちらかと言うと僕よりも家族の方が気に入っていたぐらい。でも、まだ娘は小さいから、その点では奥さんの負担も楽になるかな。医療の問題とか、食事など、バンコクに住むことのメリットは間違いなくあると思うからね」

 

これまでも、移籍に関しては自分自身の判断で決めてきた。家族は必ず自らの決意を尊重してくれたという。

「今回も移籍の話をしたら、妻は『貴方の選択についていく』と言ってくれた。毎回そうなんだけど、妻はプロサッカー選手である僕の決断をいつも尊重してくれて、僕のサッカー環境のことを考えて『ついていく』と言ってくれる。とてもありがたいことだし、あの厳しいピッチの上で戦ううえにおいて、とても心強い気持ちにさせてくれる。もちろん、僕としては本当に家族に迷惑を掛けて申し訳ないなと思うことが、これでもかってほどにあるんだけどね」


自らのプロサッカー人生がいつまで続くのか。未来を見据えながら、細貝は新シーズンへと思いを馳せる。

「僕は来年34歳になる。正直、どう頑張っても、僕のプロサッカー選手としての残り時間はカウントダウンが始まっている。どこで、どのような選択をしてサッカー選手をやめるかも分からない(笑)。その中でも、僕自身はブレることはない。ブリーラムではシーズンを通してコンスタントにプレーできたし、充実していた。プロとして、まだまだプレーできると思った。来季はまた新たなチームに所属することになるけども、少しでも早くバンコクに馴染んで、このチームでタイトルを狙いたい。絶対にタイトルを獲ってみせる」


(了)
 

Column2019/11/4

【Column-072】 [微笑みの国で-09]『2019シーズン終了』

 

2019シーズンのタイ・プレミアリーグが終了した。

 

細貝萌が所属するブリーラム・ユナイテッドは最終節でチェンマイFCに1-1で引き分けて勝ち点を58に積み上げた。

また、同じく優勝争いをしていたチェンライ・ユナイテッドもスパンブリーに5-2で快勝して同勝ち点に並び、得失点差はブリーラムの+26に対してチェンライは+25。

しかしタイ・プレミアリーグのレギュレーションでは直接対決の成績で当該順位が決まるため、チェンライに1分1敗だったブリーラムは2位に転落して優勝を逃した。 

 

細貝が悔恨の念を述べる。

「最終節の相手のチェンマイは、優勝を争っていたチェンライと同じオーナーが運営しているチームなんだよね。だからリーグ戦では最下位なのに、選手たちの気迫が凄かった。なんとかチェンライを優勝させようという気力に溢れていて、僕らはそれに飲まれてしまったように思った」

ブリーラムはタイ・リーグカップで準決勝敗退、そしてタイFAカップでは決勝でPK戦の末にPTTプラチュアップに敗れており、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)もグループリーグで敗退したことから今季は無冠に終わった。特にタイ・プレミアリーグで3連覇を逃した結果は重く、来季のACLもプレーオフから出場しなければならない。

「ブリーラムというクラブは常に優勝を求められているクラブ。他のクラブに比べても資金力があるし、僕のような外国人選手を獲得して積極的な補強もしているからね。でも、それなのに今季はリーグ優勝を逃してしまった。また、カップ戦では過去に一度も負けたことがなかったクラブに負けてしまった」

確固たる戦力として期待されて今季からブリーラムに加入した細貝は、その役目を、結果を果たしきれなかったことに責任を感じている。

「特に外国人選手はタイトルを獲るためにチームへ迎え入れられたと思うから。昨季までは強烈なFWがいたんだけど、彼が今季移籍したことでリーグ3連覇を逃した格好にもなってしまったのは悔しい。僕は得点を求められるポジションではないけど、それでもね……」 

今季のブリーラムは細貝自身、幾つかの課題や修正点があった中で戦い続けていたと吐露する。

「僕は中盤の前目のポジションやボランチでプレーしたけども、特に守備の部分で中盤とディフェンスラインの連係がなかなか上手くいかなかったように思う。特に自陣バイタルエリア付近のスペースケアについては何度もチームメイトと意思疎通を図ったけど、結局最後まで課題を抱えたままだった。ブリーラムでは試合後にVTRなどを見てプレー内容を精査するようなミーティングをしないんだよね。その国の文化や風習などによってそれぞれ考えがあるから、その点は尊重しなければならないんだけど、その部分に関しては課題も修正しきれなかったし、僕自身戸惑った部分もあった」 

一方で、個人的なパフォーマンスと実績については過去数年に比べても充実したシーズンを過ごせた。

「シーズンのスタート時期は体調不良でチームへの合流が遅れた。キャンプなどにも全く参加できなかったので1年を通して戦えるだけの体力を備えられるか不安だったし、最初からチーム全体の中で練習ができなかったから、コンビネーション面でも不備があった。でも、実際に試合に出場してみたら、プレー感覚はそれほど悪くはなかったように思う。中盤の前目のポジションを与えられたときは慣れない役割でポジショニングのズレなどもあったけど、結局ポジションも守備的ボランチの位置でプレーする機会が増えて、月日が経つ毎にプレー内容が良くなっていったように思う」

ドイツ・ブンデスリーガ2部のシュトゥットガルトで過ごした2016−2017シーズンはケガを重ねて満足いくプレーができなかった。2017年3月に加入した柏レイソルでは出場機会が減り、苦悩した末に2018シーズン限りで再び日本を離れる決断をした。そして今季、細貝は久方ぶりにチームの主力として戦い続け、シーズンを通してほぼフル稼働できた。

「体調が回復して復帰してからは、軽いケガはあったけども、リーグ戦には全て出場できた。ただ、だからこそ、リーグ優勝は成し遂げたかった」

おそらく細貝は来季もブリーラムの一員として戦い続ける。今季得られた手応えを携え、来季もまた、この東南アジアの地でプロサッカー選手の責任を果たす。

「ブリーラムという街は、とても過ごしやすい。街の規模が小さいから、多くの人が僕のことを知ってくれている(笑)。バンコクのような大都市ではないから、あまり無駄遣いをしないのも良いよね。お金は大切だから(笑)。何より家族がこの街を気に入ってくれている。子どもは今、インターナショナルの保育園に通っているけど、そこで出会った友だちのことをよく話しているよ。家ではタイ語、英語、そして日本語で会話している。いずれにしても、子どもの将来にとっても良い環境になってくれていると信じてる」

来季の目標も、すでに見据えている。

「来年は、健康で、またワンシーズンを通してプレーしたい。不測のケガは防げないけど、後悔がないように。今季も地道にトレーニングやケアを繰り返していたから大きなケガがなかったと思うんだよね。フィジカル面で確固たるベースを築いて、そのうえでサッカーを楽しめる環境を作っていきたい。来季は今シーズンよりも良いプレーをしたいし、絶対に優勝したい。来季はACLのプレーオフがあるから始動が早いんだよね。プレーオフでは、もしかしたらJリーグのクラブと戦うかもしれないし、そのときはブリーラムの一員として日本へ行くかもしれないね(笑)」

数年ぶりに充実感を得られたシーズンが終わり、細貝はまた、その先の未来を見据えている。

(了)

 

Column2019/07/9

【Column-071】 [微笑みの国で-08]『ブリーラムで生きるno.2』

 

2019年6月22日。タイ・プレミアリーグ、チェンマイFCとのホーム戦。

累積警告で出場停止だった細貝はACLのゲームと同じくスタンドで、4-0で快勝した仲間の勇姿を見つめていた。試合が終わり、帰路に着くと、ブリーラムのサポーターが細貝に気づいて駆け寄りサインを求めてくる。快くそれに応じ、微笑みながら記念撮影に収まった後、彼が口を開いた。


「若い頃はヨーロッパでプレーしたいと思って、浦和を巣立ってその夢を叶えた。そのあとはトルコでもプレーしたし、Jリーグの柏レイソルでプレーすることを選択したりもした。そんな中、今の自分がまさかタイでプレーしているなんて、かつては想像もしていなかった。でもね、今の自分はタイでのサッカー生活が充実しているよ。この先も何があるか分からないけど、これは自分が決めた『僕の人生』で、かけがえのない経験ができていると思っている。自分が充実感を得られて、家族が幸せな生活を送れているかが僕にとって重要なんだよね。その意味では、今、このブリーラムで生きている自分は、とても幸せな環境にあると思っている」


タイの若者はサッカーへの関心が高いが、多くはヨーロッパ5大リーグ、特にイングランド・プレミアリーグへの注目度が高く、街中にもチェルシーやマンチェスター・ユナイテッドなどの選手を起用した広告看板が多く見られる。

しかし、そんなタイのサッカーシーンも日々変化しつつある。

例えば細貝の所属するブリーラム・ユナイテッドはタイの政治家でもあるネーウィン氏が多額の資金を投入してイングランド式の近代的なスタジアムを建造したり、トレーニングの充実を図ってクラブ設備の増強を行うなどして環境を整え、破格の年俸を用意して有望な選手たちを多く集めている。

細貝のような外国籍選手は住居や自家用車が支給されるなど、給料も高い次元で保証されている。

日常生活の中でも十分なサポートを得られており、現在は多くの国のサッカー選手がタイ・サッカーに注目し始めている。

その結果、タイの人々も国内リーグに徐々に関心を持ち始め、リーグ戦の観客動員数も増加傾向にある。

 

細貝がタイサッカーの印象を話す。

「今は毎試合満員というわけにはいけないけど、上位争いのゲーム、例えば今季ブリーラムと共に優勝を争っているバンコク・ユナイテッドや、人気クラブのムアントンとのゲームでは多くの観客が訪れて雰囲気の良い中で試合ができる。こちらのサポーターも熱心な方が多くて、集団でコールやチャントを歌って選手を応援してくれる。元々タイの人々はサッカーという競技が好きだと思うんだよね。だからタイの国内リーグも認知度が高まってきて、徐々に盛り上がってきているのを感じている」

 

7月に入ったタイは暑季が終わり、雨季へと季節が移り変わりつつある。40度前後を記録した灼熱の時期から、激しいスコールが頻発する時期へ。東南アジア特有の気候の中で、細貝は今、この国に着実に順応し始めている。

「ここは暑いけど、今はこういう季節が好き。ブリーラムの人々も穏やかで温かな方が多いし、田舎町特有の穏やかな時間の流れ方も好きだね。今やここは、僕のホーム。とても愛着が生まれてきたよ」

汗を滴らせながら、柔和な笑顔を浮かべる彼の姿が、ブリーラムの町並みを彩る鮮やかな新緑の木々と爽快な青空の景色に同化していた。

(了)

 

Column2019/06/30

【Column-070】 [微笑みの国で-07]『ブリーラムで生きる』

 

タイの首都・バンコクから飛行機で1時間弱、タイ東部・カンボジア国境近くにブリーラムという街がある。

 

ブリーラム空港に降り立つ前に機窓から眼下を眺めると、そこには広大な田んぼが広がっていた。空港の滑走路が見えたが、周囲に建物らしきものがない。小型のプロペラ機がひらりと降り立ち、ほんの数百メートル滑走するとクルリとUターン。右手に小さな平屋建てのビルが見えてきて、それがこの街の空港ビルだった。

飛行機からタラップで地上に立ち、そのまま歩いて空港の入り口へ。建物に入るとすぐさま荷物引き渡し所があって、僅か数分で荷物が出てきた。空港出口には客待ちのタクシーがなく、地元の人々は迎えの車か、乗り合いのバスで街の中心街へ向かう。

この街で暮らす細貝萌が言う。

 

「この街は、バンコクとは比べ物にならないほどの田舎町。街中もこぢんまりとしていて、車で10分も走れば畑と田んぼだらけの景色になる。でも、今の僕にとっては、この田舎町での暮らしが心地よく感じている。無駄遣いしなくていいし、サッカーに集中できるからね。それに、なにより、一緒に暮らす家族が気持ち良く生活してくれているから。それが一番精神的に落ち着けている要因かな」

 

街の面積は10,322.885平方メートル。人口は約1,573万人。人よりも、そこで飼われる水牛の姿の方が多いように思えるブリーラムに、タイ・リーグ1屈指の実力派クラブ、ブリーラム・ユナイテッドがある。ブリーラムのオーナーである政治家のネーウィン氏が肝いりで築き上げたプロサッカークラブは32,600人を収容するイングランド・プレミアリーグ式の瀟洒なスタジアム『サンダー・スタジアム』を構え、ここでタイのトップリーグを牽引する成績を残している。

 

「ブリーラムはサッカー人気の高い街で、ブリーラム・ユナイテッドは街の象徴として捉えられていて、とても人気がある。街中を歩くとブリーラムのユニフォームを着ている人に多く出くわすんだけど、ここのユニフォームはナイキとかアディダスなどの一般的なスポーツブランドではなくて、クラブ関係の会社で作ってるユニフォームなんだよね。でも自社で生産できるからユニフォームの値段が安くて、だからこそサポーターも気軽に入手できる。ちなみに選手は毎試合、新品のユニフォームが支給されるし、練習着も週に2回ぐらいは新品を使うよ」

 

街で一番のショッピングモールへ行くと、老若男女、多くの方が細貝の姿を見つけて声を掛ける。街の規模が小さいぶん、この街のプロサッカー選手の認知度は想像以上に高い。

まっさらな“戦闘服”に身を包み、熱狂的なファン・サポーターの前でゲームに臨む。プロサッカー選手として、これほど恵まれた環境は最先端と称されるヨーロッパを含めても、それほどないかもしれない。

「確かに。プレーレベルは間違いなくヨーロッパの方が高いけど、プロサッカー選手としての環境や待遇は、今まで所属してきたどのクラブと比べても、ブリーラムは整っているように思う。ユニフォームのこともそうだけど、ここでは試合の際の移動着なども常時10種類以上あって、毎試合『次の試合はこれ』と指定がある。移動着ももちろん関係する会社で作っているから、選手がそれを着ることがプロモーションにもつながるんだよね。また僕の場合は外国籍選手だから車も用意してくれるし、住む場所も良い環境を与えられている。選手としては、とてもありがたいよ。手厚く扱ってもらっているわけだから」

 

最高とも言える待遇を与えられる反面、このクラブには厳しい使命が課せられている。ブリーラムは目下タイ・リーグ1で連覇中。今季は3連覇を懸け、来季のAFCアジア・チャンピオンズリーグの出場権はもちろん、リーグタイトル制覇が至上命題なのだ。

 

「ブリーラムは去年、一昨年も優勝していて、今季もACLにも出場している。3年連続の優勝を目指す中で、どのチームも打倒ブリーラムを掲げて向かってくる。僕が来てからチームが優勝できないのは避けたい。『アイツがいたから優勝できた』と言われるように頑張っていきたい」

 

細貝のような外国籍選手は当然厳しいノルマが課せられる。

 

「僕は今、チームの中で一枠しかないアジア枠の選手としてプレーしている。その中で、シーズン中でも外国人選手の入れ替えは頻繁にある。今季は僕がブリーラムに来てからの5か月で6人の外国人選手が入れ替わった。自分もいつそうなるかわからない。でも、今はとにかくこの環境を楽しんでいるし、クラブ、チームのために精一杯頑張りたいと思っている」

(続く)